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2019年5月19日主日礼拝説教

 

「命への行進」

聖書 コリントの信徒への手紙二第二章12-17節

伝道師 三輪恵愛

1.「パウロの喜怒哀楽の手紙」コリントの教会に宛てられた二通目の手紙

 「パウロはキリスト教の創始者」と一般的に説明されることがあります。地中海を渡り、パレスチナからローマにかけて幾度も伝道旅行を敢行したパウロ。伝道の成果を思えば、「創始者」という説明も間違いとは言い難いものがあります。パウロはキリストの復活を「勝利」と語りました。「キリストの勝利の行進(14節)」に連なっていると自負するパウロは、確信に満ちているようにも思えます。しかし手紙を読めば、パウロも不安に陥り、涙すら流したことがわかります(4節)。「喜怒哀楽の手紙」とも評される、パウロの心情を伝えるコリントへの第二の手紙です。

2.不安にあるはずなのに・・・突然「神に感謝します」と語り始めるパウロ

 港湾都市トロアスは、異邦人も多く集う大都会。出会いの機会に溢れる絶好の伝道地です。しかし彼はトロアス伝道を諦めざるを得ません。頼みとしていたテトスが来ませんでした。異邦人からキリストを信じて救われ、パウロの伝道を助けた生き証人のテトス。異邦人が多くすむトロアス伝道を始めるにあたり、パウロはテトスに大いに期待していたでしょう。しかも事前にパウロはテトスをコリントの教会へ派遣していました。状況も知らされることを期待していたのです。テトスと会えなかったことがパウロを不安に突き落とします。

3.勝利の行進に連なりながら、キリストと共に歩めばこそ醸し出される香り

不安だったのに「神に感謝します」とは不自然な切り返しなのかもしれません。ある人は「13節と14節には分断がある」と合理的に解釈します。しかし御言葉は、この通りに今日のわたしたちに響くのです。「これでよかったのか、なぜ助け手が来ないのか、諦めてよかったのだろうか」殊にキリストの福音を伝えてゆくにあり、不安には常に襲われます。けれども、だからこそ「キリストの勝利の行進に連なる」わたしたちは、不安の孤独を歩んでいるのではないことを思い起こすのです。不安の心を抱いたまま、わたしたちはキリストの勝利の行進に連なるのです。たとえ確信が持てなかったとしても、キリストの福音のために捧げられる熟慮、慎重、不安、あらゆる魂への配慮は、キリストが先立つ神への捧げもの。復活の勝利に連なりながら醸し出される良き香りが、命の行進に連なる者を起こすのです。

【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】

 

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