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6月5日祈祷会:列王記上第22章1-40節

 

列王記、上巻の最後の章になりました。ヤロブアム以来、書物の後半は概ね北イスラエル王国に焦点を合わせていました。しばらく南ユダ王国との接点がありませんでしたが、本章に至り南ユダ王国のヨシャファト王が北王国を訪ねます。このヨシャファト王は「まず主の言葉を求めてください(5)と言うほどですし、長く南王国を治めた王(在位25)ですから、イスラエル民族が南北に分断されていることを悲しむ王だったと思われます。

アラムと北側の国境を接する北王国にとっても、南王国との友好的な協力は好都合でした。「わたしと共に行って、ラモト・ギレアドと戦っていただけませんか(4)とアラムに奪われたままとなっている町の奪還作戦を持ちかけます。このアハブ王の目論見が、果たして主の御心に沿うものであったか否か。アハズ王の信仰を巡って出来事は展開していきます。

1.慎重に主の御言葉を求めるヨシャファト王

聖書にたびたび記述される町ラモト・ギレアドは、罪を犯した人が赦されるまで難を避ける「逃れの町」の一つとして規定されていました(申命記4:43,ヨシュア記21:38)。ヨルダン川の東岸北部の真ん中にあり、人が集まる交通の要衝です。ぜひともこの町をアラムから取り戻したいと、アハブ王は願っていました。

この作戦を持ちかけられたヨシャファト王は、南北の協力のために助力を惜しみません。困っている同胞を助けようとします。「わたしはあなたと一体、わたしの民はあなたの民と一体、わたしの馬はあなたの馬と一体です(4節)」との言葉も、国の分裂を再び一体にしたいとの思いが伝わってくるようです。また彼は、たとえ良いことと思われる計画であったとしても、主の御言葉をまず求めます。「しかし同時にヨシャファトはイスラエルの王に、『まず主の言葉を求めてください』と言った(5節)」事を起こす前に、まず御言葉に聞く姿には教えられます。

これを承けてアハブ王に預言を告げる400人の預言者は、主は、王の手にこれを渡します(6節)」と語ります。偶像を拝む預言者ではなさそうですが、主の預言者がよく語る前置き、「主はこう語ります」とは語りません。さらには400人が全員同じ意見を主張し、王の望むままの言葉を告げる姿は、かえって不自然です。

ユダヤの知恵として紹介されるものに、決議の際の「全員一致は無効(または持ち越し)」というものがあります。これは「人の意見には必ず異論がある。全員が一致した時は外からの圧力がかかっているか、真剣に自分の意見を考えず、周囲に流されている人がいる証し」と考えるからだそうです。一つのことを決める時、意見は関わる人の分だけ存在することを前提とする考え方です。

真剣に考えればこそ異なる意見が出るもの。それは群れにとって喜ばしいことです。しかし400人が王の意見に賛成する言葉は、すでに王と預言者の間に主従関係がある以上、権威の圧力を受けています。違和感を抱き、ほかの預言者がいないか訊ねるヨシャファトに、主の御言葉を求めてから大事を決める慎重さが伺えます。

2.三年前の悔い改めの真実を試されるアハブ

アハブにとって、もう一人の預言者ミカヤは好ましい存在ではありませんでした。「災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます(8節)」と不快感を隠しません。このミカヤという預言者は、聖書ではこの時しか登場せず、どのような災いを預言していたかは察するより他ありません。「主は生きておられる。主がわたしに言われることをわたしは告げる(14節)」と語るミカヤの言葉から、400人の預言者と異なり、王には都合の悪い結末の預言も臆することなく語る預言者だったと思われます。

ひとたびは400人の預言者と同じ言葉を語るミカヤですが、アハブは納得しません。真実を告げるように命じたところ「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのを見ました(17節)」と、ラモト・ギレアドの奪還作戦は失敗に終わるとの預言を語ります。

19節から、ミカヤが告げる預言の内容は、主なる神様と災いを起こす霊とのやりとりです。玉座に座る主と、天の万軍がそこにいる情景から、あたかもヨブ記の“天上会議”のようでもあります。

「ある霊が進み出て主の御前に立ち、『わたしが彼を唆します』と申し出ますが、これを主は「行って、そのとおりにせよ」と許します。これらのやりとりから、アハブの作戦失敗と落命は、400人の預言者を唆すこの霊の働きによるものだったことが明らかにされます。

なぜ主は、アハブがこの霊に唆されることを許したのでしょうか。「霊が唆す」との言葉から、アハブが3年前にイゼベルの言葉に唆され、ナボトという義人のぶどう畑を奪ったこととの関わりが見えてきます。3年前アハブは、イゼベルに唆され罪を犯しました。「唆される」、つまり主の御言葉を聞かずに、己の欲望を満たす言葉のみに耳を傾ける在り方を悔い改めたはずなのです。しかし3年たち400人の預言者を再び周囲に侍らせ、自分の聴きたい御言葉ばかりを語らせていたところ、主の御前にへりくだった心をアハブはすでに忘れていました。信仰者ヨシャファトの勧めを聴き、ミカヤの厳しい預言に耳を傾けるか、400人の預言者の耳に易しい御言葉に身を任せるか、アハブはこのとき御言葉を聞き分ける試練に立たされていたのです。

3.王たちの不完全も、真の羊飼いを指し示す

ミカヤの預言を遠ざけたアハブに待っていたものは、主の御言葉の成就でした。災いが語られたとおり「イスラエルの主人」は打たれ、民は羊飼いのいない民のように山々に散っていきます。

アハブのみならず、主の御言葉を求めていたヨシャファトの態度も徹底さを欠くものでした。二人の王はラモト・ギレアドの奪還作戦に与したことで敗北の憂き目にあいます。列王記上が終わるところ、やはり御言葉に対する王たちの姿を通して、人間が立てる王の不完全さを伝えようとしていることを知らされます。

主は、御言葉に聴く働き人を求めておられます。魂の養いから遠ざかっていた群衆を見つめながらこう言われました。「群衆がいない飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい』(マタイ9:36-38)」誰に信頼してよいか分からない、惑いの多い世にあって、打ちひしがれている魂に憐れみのまなざしは注がれています。御言葉に聞く生き方を示すために、羊飼いの主が働き人を起こしてくださいます。

 

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