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2019年6月16日主日礼拝説教

 

聖書 マタイによる福音書第28章16-20節

説教『永遠のインマヌエル』 伝道師 三輪恵愛

 

1.「人々と共にいる神」インマヌエルで始まり、結ぶマタイによる福音書

 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」との印象深い御言葉で結ばれるマタイによる福音書は、「わたしたち人間と共にいる神」の姿を示すことに集中していると言えます。クリスマスによく読まれるインマヌエルの預言の成就(マタイ1:21-23)も「わたしたち(ヌー)と共にいる(インマー)神(エル)」に始まっていました。お姿を見ることがかなわない主なる神様ですが、「共にいる」と宣言してくださる約束に耳を傾けるとき、信頼の思いが与えられることです。

2.疑いながら礼拝する11人の小さな群れに、近寄り教える神の姿

 ところが、ガリラヤの山の頂に集められた11人は「ひれ伏し」ながらも「疑う」弟子たちでした。裏切り者のユダが居なくなり、1人欠けたままの弟子たち。しかも疑いながらの礼拝。今日の御言葉の箇所はよく「大宣教命令」とも言われますが、その内実はじつに小さく、欠けのある群れからの伝道の始まりだったのです。しかしイエス様は「すべての民を弟子にしなさい」と言われるにあたり、1人欠けて11人になり、疑いながらひれ伏す弟子たちを咎めもしません。小さき群れでも近づき福音を宣べ伝えるようにと、遣わすことをお辞めにならないのです。

3.信じることと疑うことの往訪に、言葉を語るお方への信頼が生まれる

「命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と言われる限り、伝える側もまた「すべて守る」ことが当然のように思われます。それでは、一切の疑いなく信じている人にしか、福音を伝えることはできないのでしょうか。しかしここで弟子たちに近寄るイエス様のお姿。「信じる心と疑う心は表裏一体」と言われます。言葉を鵜呑みにして盲信するほど恐ろしいことはありません。神は「言葉を信じる」だけではなく、「その言葉を語る存在」に信頼をおくことを教えます。そのため言葉の語られる意味を捉え、行い、時には疑う心を持つこともある人の真実をすでにご存知です。そこに「近寄ってきて」「あなた方と共にいる」と言われるお方がわたしたちの救い主なのです。父なる神が造り給うた世界に生き、疑うところにも近づいてくださる救い主に信頼し、聖霊が伝える神の愛を受け取る、父・子・聖霊と一息に語られる名こそ「わたしたちと永遠に共にいる神」です。

【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】

 

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