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2019年6月23日主日礼拝説教

 

聖書 ガラテヤの信徒への手紙第3章23-29節

説教『結われし縁に』 伝道師 三輪恵愛

1.教会とキリストの結びつきに導く、「養育係」としての律法

 「キリストと結ばれて」と二回語られるこの箇所は、キリストと人格的な交わりを結ぶ教会の姿が示されています。そのために聖書に示された律法の「役割」は、キリストとの交わりに導くもの。律法の中心と言えば、まずは十戒が思い浮かびます。これを神への畏れを人に抱かせる(出エ20:20)を伝える戒めとするならば、それに次ぐ中心とも言える神を愛し、人をも愛すること」(申命記6:4,レビ記19:18)が、神と人との誠実な交わりへと導くものです。当時の幼子を教える職業「養育係」を用いながら、律法を満たすキリストとの結びつきを示そうとしています。

2.キリストの揺るぎない真実に結ばれるからこそ、信仰を与えられる

 律法が人を裁くためにあるのではなく、キリストへと導く「養育者」であるならば、律法も決して厳しいものではありません。むしろ信仰への理解も深めるものです。信仰がしばしば「信じる力」と理解されることがあります。しかしそうなると信仰は「神を愛し、人を愛する自分を信じる」、すなわち行いによって救いを目指す「行為義認」の考えに戻ってしまいます。聖書は信仰を「人が自ずから生じさせる力」とは理解しません。“真実”とも訳されるこの言葉は、キリストが全うされた律法の要件「神と人を愛する真実」こそが、信仰の源と伝えます。このキリストの真実に結びついたからこそ「信仰によって義とされた」と言えるのです。

3.結われるキリストとの縁は、すべての歩みをとおしてこそ強くなる

キリストとの結びつきについて、御言葉は「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがた(27)と語ります。見える行いとしての洗礼が、キリストとの結びつきの始まりのように思えます。ところが聖書はあらゆるところで「洗礼」が「キリストの霊の注ぎ」、すなわちキリストとの結びつきを深める、神よりの働きかけと語ります。「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つ(28)と、教会に向けて注がれ続ける霊、神よりの働きかけとしての洗礼に目を向けさせます。目に見える洗礼式の前からキリストとの結びつきはすでに始まっており、洗礼式のあとも、永遠にキリストとの結びつきは強められます。だからこそキリストと間に結われた縁は、綺麗なところばかりではなく、すべての歩みを結ぶ強さを持つのです。



 

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