« 2019年7月3日祈祷会:列王記下第4章8-37節 | トップページ | 2019年7月10日祈祷会:列王記下第5章1-19節 »

2019年7月7日主日礼拝説教

 

聖書 ルカによる福音書第10章1-12節

説教『ようこそ、主の平和』 伝道師 三輪恵愛

 

1.主が任命し、遣わす『平和を告げる』七十二人の姿から

 十二人の弟子をすでに任命し、ご一緒に「神の国は近づいた」と宣べ伝えておられたイエス様。さらに七十二人を任命し、町や村に遣わされます。この人達の姿に、宣教する働き人とはどういう人達なのかが示されています。①イエス様に「任命(1)されるのですから、神の御心によって遣わされた人たちです。②「狼の群れに小羊を送る(3)」「財布、袋、履物ももっていくな(4)、争いは当然これを避け、主に生活を信頼します。生き方そのもので平和を示します。③「神の国は近づいた(9)神様に生かされる恵みを、確信をもって宣言します。

2.「平和の子がいるならば」、聖書が語る「平和」の尊さ

 「収穫は多いが働き手が少ない(2)ことはまさに教会の現状。働き手が起こされることを願うことを促されます。同時に、わたしたちには主の平和を迎えることをも、受け取る恵みとして語られています。「平和の子」「人と人のすべての結びつき(エイレネー:平和)のもとに生きる人々です。ヘブライ語の「シャローム(平和、平安)の訳語としても用いられたところから、聖書は、「平和」は人が作り出すものではなく、神よりの賜りものと語ります。抽象的な「平和」ではなく、日常の具体的な人と人との結びつきを思えば、いかに人が「平和」を作り上げることが出来ず、むしろ壊してしまう存在であることに気付かされます。

3.主の平和が差し出されているからこそ「ようこそ!」と家にお迎えする幸い

イエス様が七十二人を任命したのは「御自分が行くつもり(1)の家に、主の平和が必ず来ることを予め告げるためでした。働き人に命じられたことは、主ご自身も辿られた十字架への道行きです。神の国の近づきを宣言し、主にすべてを信頼し、小羊として遣わされたところへ。主が賜る平和を思う時、十字架は二つのことを示します。一つは、平和を自分たちでは作ることができない、悲惨な人の姿。同時に、それを受け入れ、愛し、決して滅びない主の平和を与えてくださる真実。それゆえ復活の主は「あなたがたに平和があるように(ルカ24:36)」、主の平和は決して滅びず、平和の子に語られ続けることを約束されます。戦火に焼けながら、今朝も平和の子がいる家に「平和があるように」と主は祝福されます。

【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】

 

 

« 2019年7月3日祈祷会:列王記下第4章8-37節 | トップページ | 2019年7月10日祈祷会:列王記下第5章1-19節 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

フォト

カテゴリー

写真館

  • 201312hp_2
    多田牧師「今月の言葉」に掲載したアルバムです。(アルバム画面左上のブログ・アドレスをクリックしてブログに戻れます。)
無料ブログはココログ