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2019年6月30日主日礼拝説教

聖書 列王記上第19章1-13節

説教『静かにささやく声』 伝道師 三輪恵愛

1.積み上げてきたものが否定される苦しみを抱え、エリヤはまず逃げる!

 権力者と宗教者が癒着し、国民を霊的な支配におく恐ろしい時代。預言者のなかの預言者とよばれるエリヤが、救いの御言葉を語るために選ばれたのはそのような時代です。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました(10)エリヤは命も顧みず、権力者の支配へ立ち向かったのです。命の目的と賜物を知り、召された務めに命をささげてきたエリヤ。しかし「このわたしの命をも奪おうとねらっています()王アハブと后のイゼベルは、エリヤに敵愾心を燃やし、命を襲います。これまでの成果は虚しく、彼は存在を否定される苦しみを負います。

2.「胸中を語らせ、苦しみを認め、よく眠ってよく食べる」主の救いの過程

 「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください(4)と祈るエリヤの言葉は悲痛です。積み上げた実績が報われず、崩れ去っていく現実に、絶望しているかのようです。しかし「わたしは先祖にまさる者ではありません」との言葉に、偽らざるエリヤの本音ものぞいています。「先祖にまさる」、彼は優れた先達の誰かと自分を比べているのです。そこには「認められたい、生きていたい」との願いも同居しているのです。エリヤは絶望と希望のはざまでジレンマに苦しみます。そこで主は、眠らせ、食べさせ、また眠らせる。①苦しみの自認と告白、②十分な睡眠、③適度な食事、現代にも通じる過程でエリヤを回復に導いていかれます。

3.「静かにささやく声」はどこから?いのちの再生へと導く、主の恵み

聞く耳を開かれたエリヤは「ここでなにをしているのか」と問われます。これに応えるエリヤの言葉は、自分がこれまでしてきことが認められず、命を奪われつつあることへの嘆きです。これを聞き、主はなぜか類なき猛烈な力を次々とお示しになります。「激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。地震の後に火が起こった(11,12)しかしどの凄まじい出来事にも神はおられません。そこに静かにささやく声が聞こえてきたのです。失意のなかにあり、再生をまつ魂には、いくら力を見せつけても回復にはならないことを、主はよくご存知です。「おまえはここでなにをしているのか」と問われ、語り得ることができないものがあることを知ったとき、静かにささやく声に耳を澄ます瞬間が訪れます。命の回復の時です。

【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】

 

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