« 2019年7月17日祈祷会:列王記下第6章1-23節 | トップページ | 2019年7月24日祈祷会:列王記下第7章 »

2019年7月21日主日礼拝説教

聖書 創世記第18章9-15節


説教『笑みの安らい』 伝道師 三輪恵愛


1.「そんなこと、ありえない!」笑いを惹き起こす心に思う意外なこと


 心の清涼剤とも言われる「笑い」は、意外なことが起きたり、聞こえたりしたときに生じます。アブラハムのもとを訊ねた主は、このたびはサラにも男の子が生まれる知らせを伝えにきました。あまりにも意外なことに、思わずサラは笑います。じつはこの約束、アブラハムにはすでに伝えられていました。「信じることで義とされる」はじめの人と言われるアブラハムは、子孫繁栄の約束は信じます(創世15:6)。ところがその始まりとなる男子誕生の約束にはアブラハムも笑います(同17:17)。夫婦して、現実とあまりに離れた意外な約束に思わず笑うのでした。


2.サラには笑った理由を追求される主は、厳しいお方?


 アブラハムが笑ったときにはその理由は不問にした神様ですが、サラには「なぜ笑ったか」と問いただしているようにも聞こえます。それは不憫なことでしょうか。彼女は「アブラハムもサラも老人、サラは月のものがとうになくなっていた。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに(11,12)人の肉体としての不能、また人の「楽しみ」をまず思い浮かべてしまいます。しかし「主に不可能なことがあろうか。」と主は厳かに語られ、人間本位の思いをサラに恐れと共に気づかせようとされておられます。


3.心から主の御業を笑って喜べるように。すべての命は主の奇跡の御業。


サラの笑いを招いたのは人間本位の思いでした。命の一つひとつが大切な神の出来事であることを忘れ、人の「楽しみ」を優先し、時に笑いものにすらしてしまう世の中の現実があります。神の約束の実現が語られているにも関わらず、人間本位の思いが、命の尊厳を軽んじ、ときには破壊してしまうことすら起きてしまうのです。サラに恐れをもたせたのは、すべての命に関る出来事が、主の愛の御業であることを知らせるためでした。「信じられない」ことへの笑いから、主の愛の奇跡を、平安と共に喜んで笑えるように(創世21:6)。「笑い」と名付けられた男子イサクはささげられる手前で、主に留められました(創世22)。独り子を与えることで命の救いへの愛を示されたのは、主なる神様ご自身です。「来年の今頃には新しい命が救われる」意外な約束を信じながら、安んじて笑う日が訪れます。


【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】


 


 

« 2019年7月17日祈祷会:列王記下第6章1-23節 | トップページ | 2019年7月24日祈祷会:列王記下第7章 »

フォト

カテゴリー

写真館

  • 201312hp_2
    多田牧師「今月の言葉」に掲載したアルバムです。(アルバム画面左上のブログ・アドレスをクリックしてブログに戻れます。)
無料ブログはココログ