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2019年8月11日主日礼拝説教

聖書 ヘブライ人への手紙第10章35-11章3節

説教『覚え愛でたし』 伝道師 三輪恵愛

1.聖書に親しんでいる聞き手にむけて、預言を引用し励ます御言葉

 ヘブライ人への手紙が誰の手によるものか、どのような群れに向けて書かれたものかは、今日も諸説があります。手紙の内容から察するに、ユダヤ教の祭儀に明るく、旧約聖書にも親しんでいた教会への説教だと言われます。今日の御言葉にもハバクク書第2章から引用されています。「『もしひるむようなことがあれば、その者はわたしの心には適わない。』しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく信仰によって命を確保する者です。(38,39)から、確信がゆらぎ、ひるんでしまいそうな人たちへの励ましの言葉ではないかと、察することができます。

2.確信に「立ってとどまる」ことで、すでに受け取り始めている「大きな報い」

 「わたしたちは決してひるみません!」との御言葉に答え、日々歩んでいきたいと願います。しかし次の日曜までの一週間にも、わたしたちは「なぜ、どうして?」とひるんでしまう出来事に見舞われます。「この確信には大きな報いがあります(35)とはいえ、それは「、来たるべき方がおいでになる(37)遥か将来のことなのでしょうか。そうではありません!「大きな報い」も「忍耐(“立っている場所にとどまる”の意)」も原文の通りに現在形で表されています。つまり約束された大きな報いは、いま、立っている場所(確信)にとどまることで、受け取りはじめているのです

3.神の言葉によって創造された世界だから、わたしたちは確信にとどまれる!

引用されているハバクク書はキリストを指し示した神の言葉です。「昔の人(2)もまた、キリストを望みながら確信にとどまりました。このお方こそ「来たるべき方」であり「わたしの心に適う者」と天より声がし、ひるむことなく信仰によって十字架まで歩み通された方ではありませんか!信仰は、すでにキリストによって全うされたご真実に立ってとどまることです。信仰を与えられてこそ、わたしたちは「こうあって欲しい、より善い世となって欲しい」との希望を与えられます。それはすでに御心に適った「望んでいる事柄(1)です。世界は決して偶発的、あるいは冷たい運命で出来たものではありません。キリストを示す一つの言葉によって創造されました。何に悲しみ、苦しみ、涙し、そして喜ぶのか、わたしたちの望んでいる事柄が一つひとつ、キリストによって覚えられ、愛される世界なのです。

【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】

 

 

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