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2019年7月31日祈祷会 列王記下第8章

 

列王記は、南北に分裂したイスラエル王国が、歴史のなかで次第に神の御心から離れていく姿を伝えるものです。本章に関るところで言えば、北イスラエル王国は、始祖ヤロブアム王から偶像崇拝に傾き、アハブの頃は主の預言者を迫害が起こされました。また南ユダ王国もアハブとの姻戚関係を結んだことで「主の目に悪とされることを行った(18節、27)と記されます。

年代も含めて捉えたとき、ソロモンの死後、王国の分裂が前940年頃のこと、北イスラエル王国が前722年、そして南ユダ王国は前587年と言われます。300年以上もの歳月にわたる背信の結果、主の裁きの御手は王国に及んでいきます。人の一生から眺めれば悠久なことではありますが、聖書に聴く信仰者には、本来は知りようもない永遠に貫かれる主の御心が示されます。その時、大きな歴史の流れには小さく思えるわたしたちの存在ではありながら、同じ主の大きな御手の内に置かれていることを思い起こさせられます。

1.大きな試練のなかにあっても主の御手はおよぶ

第八章は、①シュネムの婦人と従者ゲハジの再会、②アラムのハザエルの謀反、③南北王国の婚姻関係と大きく三つの出来事が記されていました。時代へ注がれるまなざしが広がるなかで、主の御言葉に信頼する人を守り抜く、御手の確かさが示されているように思われます。

シュネムの婦人と息子にまつわる出来事は、列王記下第4章で既にみてきました。男子誕生の約束の成就に喜んだのも束の間、その子は落命しますが、これを主がエリシャを遣わし蘇生させます。この家族は、その後もエリシャの言葉に信頼してペリシテに逃亡し、飢饉を生き延びることができました。逃亡中に、もともと住んでいた土地と家を奪われてしまったようですが、ゲハジの口添えもあって、無事に取り戻すことができました。

それにしても、その場にゲハジが居合わせた理由について、王が「エリシャの行った大いなる業をすべて聞かせてくれ(4節)」と頼んでいたところに、やはり主の御心を思わずにはいられません。ゲハジは数あるエリシャの事績のなかでも、とくに「神の人が死人を生き返らせたこと(5節)」を王に語り聞かせていました。そこに当の本人であるシュネムの婦人と子供が現れたのですから、ゲハジの語っていたことが真実であったことが証しされたわけです。子供を母の手に戻すだけに終わらず、飢饉の難を逃れさせ、元の家に戻させたのも、すべてはエリシャを通して語られる主の御言葉の成就でした。

じつに飢饉が七年続いたということですから、それ以上の歳月にわたり、婦人とその家族は御言葉と共に歩みました。「直ちに神の人の言葉どおりに行動(2節)」する信頼が試練の中にも平安を与えています。大きな歴史の流れにあっても、主がこれと選んだ人には、試練が続いても御言葉によって歩むべき道を示してくださることが示されます。

2.ご計画のための御手の業をお止めにならない

さて、場面はまったく変わり、エリシャがダマスコに赴いた時の出来事が記されます。これは時系列的に北イスラエルに好意的な王が居た頃、飢饉の前のことかもしれません。ナアマン将軍の癒やしのために、親書をもたせて北イスラエルに行かせた王がいましたが(王下5章)、同一人物と思われます。ここに家臣の一人、ハザエルという人物が登場します。じつはこのハザエルは既に名前だけ、しかも重要な人物として主の言葉のなかに語られています。

遡ることエリヤの洞穴の試練の時、主はささやく声でエリヤを導きながら、新しい務めを与えていました。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ(王上19:15)」。すでにこのハザエルは、主の大きなご計画のなかに召し出され、エリシャの師エリヤによって油を注がれていた人物でした。

ハザエルが油を注がれた理由はイスラエル王国への裁きに関わりますが、詳細はこれから明らかにされていきます。それにしても今日、見ておきたいところは、主は飢饉よりさらに10年以上も前にあたるアハブやイザベルの頃に、すでに次の手を打たれていたということなのです。

預言を語るエリシャの心中は、このハザエルによって北イスラエルに好意的なアラムの王ベン・ハダドが弑逆され、またアラムが攻め込んでくることになるのですから、御心とは言え落涙せずにはいられませんでした。そこには、裁きの重さを思い「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・。しかし今は、それがお前には見えない(ルカ19:42)」とエルサレムの為に涙するイエス・キリストのお姿に重なっていくようにも思えます。主の裁きはその時代に向けて語らなければなりません。とは言え、その試練に巻き込まれる多くの人々を憐れむ御心を知らされます。

3.裁きの時代にあっても主は残りの人を守られる

本章は、いったん南ユダ王国に視点を移しながら、北イスラエル王国との姻戚関係について語ります。16節には、二度も北王国との統一を願ったヨシャファト王の名前が記されています(王上22章、王下3章)。彼は主の言葉を常に求める信仰者でしたが、統一の悲願は達せられませんでした。それどころか跡継ぎのヨラムは北イスラエルを背信に導いたアハブ王の娘の輿入れを受けます。またさらに次の代、アハズヤもアハブの一族から嫁を取りました。ヨシャファト王が願った南北の統一とは、主の預言に耳を傾ける一つの王国を目指すものでした。ところが、逆に主の御言葉に背くという意味で、南北の関係が深くなっていきます。

大きな歴史のなかで、一つひとつの出来事が、主の裁きを招くことにつながっていきます。そこに生きた人たちにとっては短い一生だったにせよ、長い年月をこうして書物により一読できる後の信仰者たちは、大きな主の御手のご計画に驚くばかりです。今日に続く歴史の流れは、わたしたちの日常とは関わりないのでしょうか。

決してそうではないことを思い起こすために、本章はまずシュネムの婦人の出来事を記しています。大きな歴史に翻弄されているように思えながら、この家族は進退を手に委ね、歩みます。戦乱、飢饉で国を追われながらも「直ちに神の人の言葉どおりに」との信頼が、試練のなかにあっても主が共におられることの証なのです。世の背きに悲しくなることの多い今です。しかし主は裁きの時代のなかにも、御言葉に頼る神の民を残してこられました。「主はダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束されたから(19節)」です。

 

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