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2019年8月28日祈祷会 列王記下第12章

 

前章から、聖書の視点は、北イスラエル王国から南ユダ王国に移っています。イエフが南北、両王国の王を殺害したことは、双方の国に影響を与えることとなりました。自分の息子であるアハズヤ王の死に乗じて、南ユダ王国を牛耳ろうと試みる太后アタルヤでした。一人、難を逃れたヨアシュ王子を、祭司ヨヤダと叔母ヨシェバが守ります。主の契約のとおり、ダビデ王の血筋は守られ、アタルヤの野望はバアル礼拝とともに潰え去ることとなりました。

しかし、長年のバアル礼拝はエルサレム神殿に修復が必要なほどの破損をもたらしていました。破損した神殿で礼拝をささげるに忍びない民は、他の場所で礼拝をささげなければなりません(4)。王となったヨアシュはさっそく神殿再建のために命令を下します。聖なる神殿の再建をめぐって、主の隠された御業が明らかにされていきます。

1.責任を負いながら果たせなかった祭司たち

 匿われて六年。そして七年目にアタルヤを討滅したことから、ヨアシュ王子の即位はちょうど七歳のときとなりました。幼くして一国を導く重圧を担うこととなりましたが、後見役の祭司ヨヤダの良い導きにより、王は「主の目に正しいことを行う(3節)」王に育っていきます。

 正しいことの一つが、バアル礼拝とアタルヤの背信によって破損したままになっているエルサレムの神殿の再建でした。ヨアシュは祭司たちに、受け取る献金を修復に充てて、作業に取り掛かるようにと指示します。この命令が出されたのが、ヨアシュの治世の何年目のことかは記されていません。こうした王としての自覚ある命令をくださる分別を得た年齢を考慮すれば、ユダヤの男子成人の年齢である14歳よりは上の歳と推測されます。「だが、ヨアシュ王の治世第二十三年になっても、なお祭司たちは神殿の破損を修理(7節)」しません。短くとも約14年は、祭司たちは修復のためになにもしなかったということになります。

 本章は、同時代を記す歴代誌下第24章(20節『ユダの王の歴代誌』)と比べ、脚色や説明の分を書き加えず、神殿修復に関わる事柄に集中しています。長い期間にも関わらず、祭司たちが修復をしなかったのは、怠惰だったのか、献金を着服したのか、いろいろと疑いが生じるところかも知れません。

 祭司たちの不作為の理由を理解するために聴いておきたい言葉が2つあります。一つは「入り口を守る祭司たちは、主の神殿にもたらされるすべての献金をそこに入れた(10節)」です。祭司たちは、決して受け取った献金を着服していたわけではなく、ここであらためて「すべて」献げています。その金額は王の書記官と大祭司によって数え上げられ、確かめられました(11、12節)。

次に9節の「神殿の破損を修理する責任を負わないことに同意した」という表現は、決して祭司たちが怠惰を責められているのではなく、修復作業の任から解かれたことを意味しています。つまり、祭司たちは献金を受け取り、保管しながらも、神殿を修復するための専門的な技術は持たず、修復の責任を果たすことができなかったのです。

2.責任をはたすために、適材適所の任命を

 ここで祭司たちの信仰のためにも考えておきたいことは、バアル礼拝によって破損されたエルサレム神殿を再建するためには、なお献金だけでは乗り越えることができない大きな壁があったということです。「民は依然として聖なる高台でいけにえを屠り、香をたいた(4節)」が示すように、アタルヤが南ユダ王国にもたらしたバアル礼拝の混乱は、エルサレム神殿で捧げられるべき礼拝を著しく阻害しました。神殿での礼拝が困難になったため、民は仕方なく、神殿の外で礼拝をせざるを得なくなったのです。

祭司たちの役割も考慮に入れれば、彼らがまずすべきことは、民の礼拝の在り方を正しく導くことだったと思われます。献金が献げられたことから、幸いにも民の主なる神へ応答する信仰は、堅く守られていたようです。祭司も献金を受け取り、民を礼拝へと導きます。しかし、専門外のことである神殿修復にまではなかなか手が回らず「責任を負いながらも長年果たせずにいた」と読み取れるところなのです。そこには、まだ年若いヨアシュ王が、祭司の能力や現場の事情を良く理解せぬままに、責任を負わせてしまった「勇み足」も理由に考えられるでしょう。

そこで提案された祭司ヨヤダの意見により、献げられた献金は一旦箱に集められ、書記官と大祭司によって、金額に間違いがないことが確認されました。そのうえで然るべき賜物を持っている人々に手渡されます。工事担当者、大工、建築労働者、石工、砕石労働者たち、神殿を建てあげるに足る賜物を持っている人々が召し上げられます。長年献げられてきた献金は、彼らの報酬と必要な経費を贖うために十分でした。修復作業は監査を受ける必要がないほどに忠実に奨められ(16節)、しかも祭司たちも専門外の責任から解かれ、「賠償、贖罪」のための本来の責務に戻ります(17節)。

若きヨアシュ王の勇み足は、かえって多少の年月の足踏みを許してしまいました。しかし十分に蓄えを持ったあとで、知恵によってトラブルを解決し、しかるべき賜物をもっている人たちが神殿の建て直しに勤しむ姿は、わたしたちの教会形成にも活かされるべき姿ではないでしょうか。賜物を把握し、力を合わせるには、それなりの日数が必要なものです。時には現場への理解の薄さから、誤った方向に進むことすらあります。しかし信仰をもって忠実に主に仕えるとき、多少の齟齬は、主より賜る知恵と信頼によって克服することができる良い証左と思われます。

3.御心は壊れた神殿を再建する働き人と共に

 こうして主の神殿の修復は進められていきました。しかし18節以下は「そのころ」という前置きと共に、南ユダ王国がアラムに攻略される危機に陥ります。北王イエフと同く、主がエリヤに命じて油を注いだアラム王ハザエルが攻め上ってきました。南北いずれの王朝も、このハザエル王によって弱体化していきます。

ハザエルには、歴代の王たちが聖別していた品々が献上され、エルサレムは難を逃れることとなりました。つまり「聖別」すなわち主に献げられた多くの財が遺されていたことになります。

 本章は破損した神殿の修復の経緯が記されていました。振り返れば「神殿や王宮に相当の聖別された財を遺しながら、神殿修復には献金を用いた」点にお気づきになるかもしれません。確かに、財を持ちながら、神殿の修復のために改めて献金を集めているところに疑問を感じるところです。しかし、もしここで聖別した宝を費やして神殿を修復していれば、ハザエル王をエルサレムから引かせるために取引することは出来なかったでしょう。主は、ヨアシュ王の勇み足、祭司たちの責任、民が献げる尊い宝をすべて良い時に用い、神殿を修復させるとともに、アラムの寄せ手からご自分の聖別した宝を用いて民を贖われたことになります。

 バアルの礼拝に信仰心が脅かされ、礼拝所が損なわれる経験をした王国の民でした。しかし忠実に礼拝の場を整えていくところに主の御業が働いています。壊れた神殿を再び建てあげる働き人に、迫る苦難から民を贖う御心が働いていたのです。

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