« 2019年7月31日祈祷会 列王記下第8章 | トップページ | 2019年8月7日祈祷会 列王記下第9章 »

2019年8月4日主日礼拝説教

聖書 ルカによる福音書第12章13-23節

説教『尊さのあまりに』 伝道師 三輪恵愛

1.富んでいても貧しくても「思い悩むな」との御言葉のきっかけは・・・

 選ぶものが多すぎて「思い悩む」時代になりました。何を食べるか、何を着るか、多くの選択肢に囲まれています。一方でイエス様と弟子たちが旅路を歩まれた頃は、物がないという点で「思い悩む」時代でした。いずれに時代に向けてもイエス様は「思い悩むな」と語られます。目に見えるものへの拘りを持つ生き方に向けて「大切なものがある」と。この御言葉は、群衆の中から飛び込んできた一声から始まったものでした。「遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください(13)とイエス様の説教の最中にも関わらず、私的な悩みを遠慮なくぶつけます。

2.自分にまつわるすべてのものを、自分の所有とする考えが隠すもの

 この声に「貪欲」を聞き取られたイエス様はたとえ話を用いて警告されます。すでに金持ちでありながら、さらに豊作という祝福を得た人。しかし「どうしよう」と困り果ててしまいます。蔵を新築し、得たもの全てを自分のものとして手元に置き続けますが、その夜、この人の命は取り上げられることとなっていたのでした。心配を重ねて莫大な蓄えを遺しても、命を返す最後の時は訪れます。「愚かな者よ」この人は手元にあるものを逃すまいと拘りつづけました。命、収穫、食べ物、「すべてを与えてくださるお方がいる」という信頼を知ることなく、満たされない一生を終えます。真実を知らず、手元に集め続ける「愚かさ」は憐れです。

3.人の命の尊さの証として、導き手であり和解をもたらす主が与えられた!

「あなたは『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい(申命8:17,18)たとえ話は、得たものを「自分のもの」と考え、執着する姿に警告を与えつつも、主なる神への信頼を呼び覚まします。十分な生活を送るなかでも、貧するなかにあろうとも、与えられるもの全てを必要なものとして受け取り、主に信頼して歩む豊かさ。「だれがわたしをあなたがたの裁判官や調停人にしたのか(14)との問いに「アーメン、それは主なる神です」と応えることができるのです。「どうしよう」と右往左往するときも道を示してくださり、神と隣人との仲を執り成してくださるキリスト。これこそ、主が私たちの命を、尊いものとしてくださったなによりの証です

【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】

 

 

« 2019年7月31日祈祷会 列王記下第8章 | トップページ | 2019年8月7日祈祷会 列王記下第9章 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

フォト

カテゴリー

写真館

  • 201312hp_2
    多田牧師「今月の言葉」に掲載したアルバムです。(アルバム画面左上のブログ・アドレスをクリックしてブログに戻れます。)
無料ブログはココログ