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2019年9月15日主日礼拝説教

聖書 フィレモンへの手紙8-16節


説教『常世のとりなし』 伝道師 三輪恵愛


1.罪から逃げたのちに、パウロのもとで新しく生まれ変わったオネシモ


 「かいしん」と同じ音で聞こえる「悔心(改心)」と「回心」ですが、意味が異なります。前者は、失敗を反省し将来に活かす道徳的なものですが、キリスト教の「回心」は、神に心を回して新しく生きることを指します。手紙に登場するオネシモも、劇的な「回心」を経験します。仕えていた主人フィレモンのもとで、なにか大きな損害を与える失敗をしでかしたのかもしれません。罪の重さを抱えながら、フィレモンを信仰に導いたパウロのもとに逃げます(コロサイ~エフェソ、約180kmか?)。大きな罪を赦された人は、劇的な回心ゆえに、大きく生まれ変わるものです。オネシモも、パウロの手元に置きたいほどに福音に役立つ者となりました。しかし、パウロはこの手紙を添え、オネシモを返すことにします。


2.主人と奴隷の関係から「愛する兄弟」と呼べるようになるまで


 劇的な回心を遂げたとしても、そののちに変わらずキリストの信仰に生き、さらに人を受け入れる歩みになるかは、問われ続けることになります。パウロにとっては、手元に置きたいほど大切なオネシモでしたが、フィレモンのもとに返すことを決意し、この手紙を添え状として認めたのでした。それは、彼らの仲がキリストへの信仰のゆえに回復し、主人と奴隷の関係を超えて「いつまでも、愛する兄弟として(15,16)福音のために良い働きをしてほしいと願えばこそでした。逃亡奴隷に対して生殺与奪の権をもつ主人です(ローマ法)。場合によってはオネシモの命も危なかったでしょう。しかし、「恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません(15)この筆致が伝えるフィレモンへの誠実な思いから、彼がオネシモを受け入れる人になってくれるであろうとの確信が伝わってきます。


3.赦され、神に受けいれられたからこそ、互いに受け入れあうキリストの愛


 フィレモンが信仰をもつようになったいきさつはわかりません。しかし教会を建て、信仰者を支える大きな働きは、キリストによる赦しと回心がなくてはとてもできないことだったはずです。パウロは、彼もまた神に受け入れられていることに気づくように望んでいます。キリストによって回心する経験は、劇的な出来事があれば強い信仰に結びつくとは限らず、またそれがなければ信仰が与えられるわけでもありません。隣人が与えられていくなかで、神へ心を常に回しながらその人を受け入れ続けていくこと。キリストがまず全ての人を受け入れました。その方が、わたしたちを共に生きるものとして、今も執り成しておられるのです。


【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】


 

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