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2019年9月22日主日礼拝説教

 

聖書 ルカによる福音書第16章1-13節

説教『友の負い目に』 伝道師 三輪恵愛

1.「前半のたとえ話は、ちょっと受け入れ難い・・・」確かにそのとおり!

 「そこでわたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる(9節)と言われるイエス様。たしかに、たとえ話のなかの管理人は、負債を減額して恩を売っていました。「たとえ話に登場する人物に自身を重ねると意味がわかりやすい」と言いますが、管理人は仕事には不誠実、力仕事を厭い、物乞いを軽んじ、職権を濫用して恩を売る。いいところは何一つありません。さらに「不正にまみれた富」という言葉に「そのような富を手にしてよいのだろうか」と戸惑います。永遠の住まいに迎え入れられたいと願いながら、なかなか「受け入れ難い」たとえ話です。

2.「この世の子ら」の振る舞い以上に、光の子らは友の負い目を共に負う

 たとえ話には必ず、比べられる対象が交わる中心(比較点)が存在します。たとえ話のあとイエス様は「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている(8)と語ります。ここは、たとえ話の全体が「この世の子らの賢い振る舞い」であり、「光の子ら」がどのように歩むべきか示しておられるところ。むしろ、受け入れ難く感じて良いのです。手元の富みが「不正にまみれた」とは思いたくありませんが、つながりのある「この世」の経済のなかで、あるいはこういった狡猾な手段で益をもうけた富みと、無関係ではないと言えます。しかしイエス様はそれでも「富で友達を作る」管理人ですら恩を売って負債を減らしたのだから「小さなことに忠実に」負い目を共に負う大切さを示します。

3.「本当に価値のあるものを任され」忠実に果たす時、真の管理人を知る

 「この世」では、負債を持つ人々が必ずしも正当な理由で借りを負ったとは限りません。むしろ「この世の子ら」の振る舞いによって、負債を負った人たちがいます(例:途上国の負担の源になっている先進国の豊かさ)。わたしたちはこの管理人以上に、負債を共に負うため、富を用いることも奨められています。それは単なる慈善ではなく、神に任された「本当に価値あるもの(11)なのです。友の負い目を肩代わりする務めを果たしながら「他人のものについて忠実(ピスティス:信仰的・12)であるとき、「光の子ら」として振る舞うなかにキリストも共に働かれます。負い目を完全に肩代わりしてくださった真の管理人。減額どころではなく、この方は主人への負い目を証文ごと支払い切ってくださいました。「主よ、わたしを覚えてください」「あなたは確かに楽園にいる(ルカ2342)友の負い目にご自身を支払った方が、神の家に迎え入れてくださいます。

【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】

 

 

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