2019年10月13日主日礼拝説教
聖書ルカによる福音書第17章11-19節
説教『帰り路の賛歌』 伝道師 三輪恵愛
1.聖なるお方に救いを求めながらも、苦しみの場所に立ち止まる人たち
普段はいがみ合っているはずのサマリア人とユダヤ人。しかしこのときは、その十人が互いに声をあわせて、大声を張り上げて救いを求めます。「重い皮膚病(レプラ)」は皮膚に関わる疾患全般が含められていたと言われます。感染も恐れられましたが、それ以上に、人の形を保つ境目にあたる皮膚が損なわれることは、聖なる存在と罪ある存在の間に引かれた一線が損なわれたしるしともみなされました(レビ記)。一度、病者とみなされれば、痛みに苦しむだけでは済まされず、村、町、家族から遠ざけられました。それゆえ救い主に駆け寄りたいのに、立ち止まってしまうのです。聖なる者の前に、見えない一線が引かれているかのように。
2.超えられない一線を超えて届いた御声に、応えて生まれる信仰
「イエス様、先生。どうか、わたしたちを憐れんでください(13節)」この一線を超えて届け、と言わんばかりに十人が声を張り上げます。苦しみに立ち止まっている彼らの姿を眼差しに捉えるイエス様。これに応えられる声は、お一人なのに立ち止まっている十人にはっきりと届きました。「祭司たちのところに行って、体を見せなさい(14節)」。まず十人が望んでいたことは、人との交わりの回復でした。祭司に体が清められていることを宣言されれば、また戻っていけます。十人は聞こえてきた御声に信頼し、すぐに従います。彼らの応答が清さをもたらしました。一線を超えて届いた御声に従う時、信仰が与えられたのです。
3.恵みに応え、大喜びで神を賛美する帰り道「それがあなたの信仰です」
しかし出来事は、十人の清めだけでは終わりませんでした。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか(17節)」しかし一人だけ、大声で神を褒め讃えながら戻って、ひれ伏し、感謝をささげます。この人は、癒やされた喜びを、感謝を、誰に伝えるべきか、大きな恵みに気づきました。まことに立ち帰るべきところ、救いの恵みに応えて喜びの感謝をささげる生き方を見出したのです。祭司に見せた後、九人の人はたしかに回復したかもしれません。しかし主の大きな恵みには応えられず「同病相憐れむ」生き方に留まったままとなりました。ところが恵みに応え、大喜びで神を賛美する帰り路をたどる人に、イエス様はさらに「あなたの信仰があなたを救った(19節)」と宣言されます。救いの声の主に近づくことをためらい、立ち止まっていた場所から、大喜びで賛美の歌声をあげ、神に感謝する命へ。「立ち上がって、行きなさい」神のもとに続く帰り道。恵みに応え、感謝に満ちる歩みへと主の御声が清めてくださいます。
【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】
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