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2019年9月25日祈祷会 列王記下第16章

イスラエルの歴史を編集し、一つの書物に書き上げたのは、後世の編集者たちだと言われます。彼らはソロモン王以降に分裂した南北の一人ひとりの王を、彼らの信仰的な洞察によって評価しています。定型句「主の目に適うことを行った(行わなかった)、あるいは北王国特有の「ヤロブアムの罪を離れなかった」は、一つの指標となります。


1.王国の危機にアハズ王、大国アッシリアを招来


15章では、端的に王たちの事績を記し、上の定型句で評価しています。北王国では特に代替わりの激しい時代で、20年弱の間に5人も王が代わります(図表)。しかもそのうちの4名は「ヤロブアムの罪を離れなかった」と評価されています(1名の在位はわずか一ヶ月)。第14章で「イスラエルの苦しみが非常に激しいことを御覧になった(王下14:26)主なる神様は、ヤロブアム2世の治世に、北王国の国土を回復させました。それにもかかわらず、北王国は国内では相次ぐ謀反、外敵アッシリアには敗北を重ね、一気に衰退の道をたどります。


一方、南王国はアザルヤ(ウジヤ)、ヨタムと御言葉に聴く比較的良い王が長く統治し、安定した時代を過ごします。さて第16章、ヨタムの跡を継いだアハズ王ですが、彼の事績は南北両国の運命を分けるほどの大きな影響を残しました。そして、このような時代に遣わされたイザヤ、ホセア、ミカらの預言には、真の救い主の姿も示されはじめてきます。


アハズが王となったのち、南ユダ王国も大きな危機に襲われていました。アラムと北イスラエルが手を結んで南下し、エルサレムが包囲されます(5節)。この国難にあって、攻撃をしのぎながらアハズは、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに救助を求めます。「わたしはあなたの僕、あなたの子です。どうか上って来て、わたしに立ち向かうアラムの王とイスラエルの王の手から、わたしを救い出してください(7節)」。ところで当時、北の大国であったアッシリアは南へ版図を広げる機会を覗っていました。妨げとなっていたアラムと北イスラエルを背後から襲うのは、アッシリアにとっても好都合。さらにはアハズから贈り物   も届き、聞き入れます。あえなくアラムも北イスラエルも敗北します。


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2.アッシリアにおもねり、主に信頼しないアハズ


危機を脱したアハズではありますが、しかし彼のアッシリアに対する服従の言葉「わたしはあなたの僕、あなたの子、わたしを救い出してください」は、まるで神にすがるかのよう言い様ではないでしょうか。アハズ王は「自分の神、主の目にかなう正しいことを行わなかった」と評価され、「自分の子に火の中を通らせること(モレク神の人身御供)」「丘の上、茂った木の下でのいけにえ」も行った移り気な王でした。一途な信仰を捨て去り、合理的、相対的に地位を守ろうとする王であったことが覗えます。


外敵から国を守るためアッシリアに助けを求めたアハズの姿は、イザヤ書にさらに詳しく記されています。アハズ王の祖父ウジヤ王の没年に預言者として召命を受けたイザヤは(イザヤ1:1)、アハズ王の頃から預言活動を本格的に行いました。「わたしを遣わしてください(イザヤ6:8)」と主に告白したイザヤは、アハズ王へ神の言葉を伝えます(イザヤ7:1、2)。アラムと北イスラエルの南下について「それは実現しない。信じなければ確かにされない(7-9節)」と敵国の同盟が破綻することを約束するのですが、アハズは信じません。「主は更にアハズに向かって言われた。『主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。』しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない(12節)」


「試すようなことはしない」とのアハズの言葉は一見、信仰的な言葉のように思えますが、これは主の御言葉に信頼せず、自らの意思と考えで、合理的に振る舞うことを選ぶ王の傲慢の言葉です。


アハズが主の救いの約束ではなく、アッシリアの力に頼んだことが、南北の行く末を動かすことになります。自らの思いを優先して、拝みたい神々を拝み(3,4節)、危機を凌ぐために大国の王にひれ伏すアハズ王は、徹底的にアッシリアに服従します。占領されたアラムの首都ダマスコに向かったアハズは、そこで見た祭壇をすぐさまエルサレムでそれを再現させます。これまで大切に用いられてきた青銅の祭壇は脇へ避けられ、アッシリア王に倣う大きな祭壇を使うように祭司に命じています。これまで神殿には、祭儀に参じる王のための通用口もありました。しかしアッシリア王の機嫌を損なわないために、その入口すらも取り除くのでした。


3.心無い祭儀を献げる時代、預言が救い主を示す


アハズがアッシリアに頼り、アラムが敗北したことで、諸国の力関係はアッシリアに大きく傾くことになりました。北イスラエルは、北から迫るアッシリアからの強大な圧力を直接受けることになります。イザヤと同時代に預言を行ったホセア「わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない(6:6、マタ9:13)」と、うわべの祭儀を非難し、神を愛し、生ける人格として知ることを奨めた預言者でした。アッシリアによるサマリア滅亡を強調しますが、南北両王国に対しても警告を語ります。主なる神への一途な愛を捨て、その時の判断を合理的に下し、献げ物を捧げて満足するアハズの姿が、預言に警告されているかのようです。


アハズは王として危機を回避しながら、「人生を上手く立ち回っている」と満足していたかもしれません。しかしその時、その時の自らの思いを満たし、節操なく偶像にも、力にもひれ伏す王の姿はじつに憐れです。


預言を聞き入れないアハズに、主は神を畏れる民にこそ、共にいる救いのしるしを預言しました。「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ(イザ7:14、マタイ1:23)」。また同時代に預言したミカ「エフラタのベツレヘムよ、お前の中から、わたしのためにイスラエルを治めるものが出る(ミカ5:1,マタイ2:6)」と救い主の誕生の希望を預言しました。自ら拝むものを選び、心無い献げ物で自分を満たしていた王の時代の預言です。インマヌエルの誕生にかけつけた三人の学者(王)たちが、それまで信じていたものを手放して献げました。真の救い主の到来によって、わたしどもの心を支配するものすべて、「我らと共にいる神」救い主に献げるものとされています。



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