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2019年10月6日主日礼拝説教

 

聖書ハバクク書第2章1-4節 

説教『アーメンなる日々』 伝道師 三輪恵愛

1.「救われるべき人が救われない」不条理な現実のなかで聞こえた幻

 「神に従う人は信仰によって生きる(しかし義人は信仰によって生きる[口語訳]4節)ハバククという謎多き預言者が、走りながらでも読めるように書き残した幻の預言は、使徒パウロへ「律法を守ること」に勝る救いを語り(ガラテヤ3:11)、さらに宗教改革者マルティン・ルターを信仰義認の再発見へ導きました。「信仰によって救われる(信仰義認)聖書の真理を示す聖句ですが、語られた文脈はユダ王国滅亡寸前の時代。形ばかりの祭儀がささげられ、貧しい人が捨て置かれ、義なる人が苦しむ不条理な時代でした。ハバククは現実を前に「主よ、いつまで黙っておられるのですか(ハバクク1:13,17等参照)と、訴える祈りを捧げます。

2.「神が正しいのに悪がある」現実を遠ざけず、懸命に訴えて祈るハバクク

 「神が正しい(義しい)のであれば、なぜ世に悪や罪がはびこるのか」との問は、永らく教会に向けられてきました(神義論)。信仰者を悩ませるのは、現実の様々な問題を知れば知るほどに、悪や罪の問題がどのように解決すればよいのか分からなくなるときでしょう。祈りの言葉も出てこなくなります。一つの解決策として「人生はそのようなものだ」と達観して、不条理を受け入れる生き方です。事柄を選んで「無難に」祈れば、信仰を保てるかもしれません。しかしハバククはそうしません。むしろ神に「訴える」のです。自分の祈りが聞かれるのか「見張りの人」になって見届けようとします(1節)。

3.現実を超えて、神に支えられて生きる信仰へ、「アーメン」と祈りつつ

 神はハバククの真剣な祈りに応え「もう一つの幻」を語られました。「見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない(4節前半)は、神に従う人に対比される不信仰者を語っているかのようです。ハバクク書を愛したグループの中には「神に従う信仰」を守るため、不信仰な世と距離を置き、現実とは隔絶したところで生きた人たちもいました(『ハバクク書註解』を著したクムラン教団)。現実に合わせて生きるか、現実から離れて生きるか。しかしハバククへの幻はそのどちらでもありません。「神に従う人(義なる人)」は「信仰によって(原義:アーメンによって)」生きる人なのです。義、すなわち神との交わりを求める人は祈ります。不条理と思える現実を見ながらも、ハバククの幻は「しかし主よ、あなたの御心が成りますように」と執り成してくださるキリストを、わたしたちに示します。「イエス様の御名によってアーメン(そうなりますように)」この方の執り成しにより、信仰者はアーメンと祈りつつ、神と親しく交わる日々へと迎えられます。

【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】

 

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