« 2019年11月17日主日礼拝説教 | トップページ | 2019年11月24日主日礼拝説教 »

2019年11月20日祈祷会 列王記下第22章

 

マナセ王55年とその息子アモン王2年、57年に渡って「主の目に悪とされる」世代が続きました。ヒゼキヤ王のひたむきな信仰が導いた王国は、再び偶像礼拝が満ちる世に戻ってしまいました。長期政権によって国としては安定し、外圧もない平和な世だったかもしれません。けれども主なる神さまは「彼らがわたしを捨て、他の神々に香をたき、自分たちの手で造ったすべてのものによってわたしを怒らせた(17)時代であったとはっきり語られます。さらに本章は、そのような時代にあってなお、主のみことばに耳を傾ける人々が起こされていた希望を伝えようとしています。

1.見失われていたみことばが再発見される奇跡

 ヒゼキヤにとってはひ孫にあたるヨシヤ王が、わずか8歳で王に即位しました。父王アモンが治世わずか2年目で、謀反によって命を落としたからです。ですからヨシヤ王は、父王の背信の姿をあまり見なくて済んだのかもしれません。また聖書は、さりげなく母エディダの名を遺しています。母の存在が、「主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのままに歩み、右にも左にもそれなかった(2)と言われるヨシヤ王の育ちの理由を示しているように思えます。

 治世18年目に、ヨシヤ王は神殿修復に着手します。若干26歳です。マナセ、アモンと57年間もの間、偶像が持ち込まれていた神殿を建て直す使命に燃えたのでしょう。南ユダでは以前も、ヨアシュ王の時代に神殿の建て直しが行われました(王下12)。礼拝をささげるべき場所が荒れ果てる世代の後に、また建て直す世代も起こされるところに、主なる神さまの深い憐れみが示されているようにも思えます。

かつてのヨアシュ王の神殿再建と似ているところがあります。修復のために専門家を任命し、それに足るだけの費用を疑いなく渡しているところです。「彼らは忠実に仕事をしているから、彼らに渡した金の監査は必要ではない(7節)忠実な人柄は信用を生み出します。疑っていては良い仕事はできません。強い信頼関係のうえにこそ、神さまが御業を起こされる大きな証左だと思います。

さて修復作業のさなか、驚くべきことが起きました。「わたしは主の神殿で律法の書を見つけました(8)と大祭司ヒルキヤが書記官シャファンに注進しています。神殿で朗読されるべきモーセ以来の律法の書が、57年間も見失われたままになっていたのです。みことばの朗読と傾聴が失われていた神殿では、主の臨在がなかったのも同然です。しかも神殿修復のための費用を得る献金箱を空けたところで見つかったのですから、富のなかに律法の書が埋もれていたことにもなります。礼拝する場所を再び建て直す働きのなかで、富に埋もれていた律法の書、いわばみことばが再発見される事件。まるで後の世の宗教改革を思わせるような出来事ではないでしょうか。

2.善王なのに衣を裂いてなげくヨシヤ

さらに驚くべきは、律法の書に聴いたヨシヤ王の態度です。「王はその律法の書の言葉を聞くと衣を裂いた(11)ヨシヤ王は善い王だったのです。マナセ、アモンの背信の世代を革め、再び信仰を建て直すことを志しました。互いに信頼のおける人達と協力して、働きはじめていました。ですから善王のヨシヤには衣を裂いて悲しみ、嘆き、悔い改めるべき落ち度はないのです。

彼が衣を裂いて悲しんだ理由が続きます。「民のため、ユダ全体のために、主の御旨を尋ねに行け。我々の先祖がこの書の言葉に耳を傾けず、我々についてそこに記されたとおりにすべての事を行わなかった(13)ことへの責任を感じているのです。

これは世代を超えた執り成しです。ヨシヤ王が自分の正しさを重んじるだけでは、律法の書に嘆くことはなかったでしょう。けれどもここに、自分の信仰の正しさに安心するのみならず、罪を犯してしまった世代への悔い改めと、新しい世代がみことばに聴いて歩んでいけるようにとの、深い献身の思いが芽生えているのです。ヨシヤ王の信仰は、世代間に広がる執り成しに及びます。

3.先の世代の罪を執り成し、新しい世に備える

そしてヨシヤ王個人だけが、主の目にかなう人ではありませんでした。主なる神さまは長い背信の時代を経てもなお、信仰に堅く立つ世代「残された民」をお守りになります。大祭司ヒルキヤ、書記官シャファン、再建に携わる大工たち、シャファンの息子たちと、ヨシヤ王の信仰に賛同し、共に働く人々も儲けているのです。

そのなかでも、ヨシヤ王にならんで稀有の信仰を保っていたのは女預言者フルダです。ヒゼキヤが治め、イザヤがみことばを力強く伝えた日々が遠くなったエルサレム。それでも主のみことばを語る預言者が残されていました。57年もの間、偶像崇拝が横行していたにも関わらず、エルサレムで忍耐しながら、真理のみことばに聴き続けていた女です。彼女が語り継ぐ主のみことばに、大切に聴き続けていた信仰が現われているようです。「あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる(19)みことばに聴き続け、語り継ぐ人は、そのとおりの歩みをするからこそ信仰が生きてきます。偶像崇拝の横行する世にあって、フルダはみことばに聴き続けたのでしょう。遠きイザヤの世を偲びながら「わたしもまたみことばを語る務めに忠実でありたい」と、聞きに来る新しい世代を待っていた姿は、今の世に召された「母なる教会(キュリロス)」の姿のようではないでしょうか。

世代を超えた罪を嘆き、新しい世代のために執り成しを求めるヨシヤ王のまことのへりくだりが、宗教改革運動を起こします。決して個人の信心深さに甘んじるのではなく、召されたからこそ責任を感じ、執り成しの祈りを献げ、みことばを聞きに行くヨシヤ王の姿が、なんと示唆に富んでいることでしょうか。

アブラハムはソドムとゴモラに生きる「正しい人達」のために、主の御前になんども食い下がりました(創世18)。モーセは怒る主の御前に「どうしてご自分の民に怒りを燃やされるのですか」となだめの祈りを献げました(出エ32)「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日にお前も平和への道をわきまえていたなら・・・しかし今は、それがお前には見えない』(ルカ19:41-42)世の罪に涙するイエスさまは、荒れ果てたエルサレムで、十字架への執り成しの道を歩まれます。

執り成しは教会に託された使命です。「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とを、すべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです(1テモ2:1-2)

世を憎しみ、世と断絶するのではく、みことばに聴きながら、十字架を世と共に背負い、執り成しの祈りをささげ続ける。わたしはあなたの願いを聞き届けた(19)自分の正しさではなく、涙ながらに世の執り成しを、ヨシヤ王も祈ったのです。

 

« 2019年11月17日主日礼拝説教 | トップページ | 2019年11月24日主日礼拝説教 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 2019年11月17日主日礼拝説教 | トップページ | 2019年11月24日主日礼拝説教 »

フォト

カテゴリー

写真館

  • 201312hp_2
    多田牧師「今月の言葉」に掲載したアルバムです。(アルバム画面左上のブログ・アドレスをクリックしてブログに戻れます。)
無料ブログはココログ