2019年12月日クリスマス礼拝説教
マタイによる福音書第1章18-25節
説教『その子はイエス』 牧師 三輪恵愛
1.出生の時に示されるキリストの二つの名「イエス」と「インマヌエル」
救い主のお生まれをお祝いするクリスマス。新しい命の誕生には名前もつけられるものです。生まれてくる男の子に「イエス(ヤーシャー”救う”という言葉から)」と「インマヌエル(インマー“共に”、ヌー“わたしたちと”、エル“神が”)。この二つのお名前のなかに、救い主が示される真実が込められています。「神さまはわたしたちと共にいることで、救ってくださる」イエス・キリストというお方は、この真実を示すために、わたしたちと同じように母から生まれました。
2.母と子を守るために決心する「正しき人」ヨセフ
もちろん喜びに包まれるべき時のはずなのです。けれども聖書が伝えるその日の出来事は、むしろ重苦しい雰囲気です。夫のヨセフは、婚約中にも関わらずマリアが身ごもった事実に直面します。「聖霊によって身ごもった」それは神さまの御力によるもの。けれども「正しき人」であるがゆえに、マリアが周囲になんと受け止められるか確信が持てないのです。当時の法では、不貞のゆえ身ごもった場合は、事と次第によっては命を奪われることもありました。周囲に誤解されかねない状況に、母マリア、そしてお腹の中の赤ちゃんの命を守るため、ヨセフは「正しい人」であればこそ、「ひそかに縁を切る」ことを決心します。
3.「正しさ」に頼る生き方から、共にいてくださる神さまを迎える救いへ
婚約期間を重ね、愛し合う夫婦となるはずだったのに。正しき人ヨセフの決心は二人の約束を白紙に戻すものでした。「正しさが必ずしも人を幸せにするとは限らない」今もわたしたちは世の現実に慄然とします。ところが、ヨセフの重苦しい決心を覆すことが起きました。夢の中の天使のお告げを聞いて、マリアを迎え入れることにしたのです。「夢を見たくらいで大切な決心を覆す?」理解しがたいことでしょうか。でもこの重苦しい夜に、ヨセフは自分の正しさを超えて迫り来る言葉に解き放たれました。自分の正しさに依り頼んで、苦しい決心を負うのではなく、神の言葉を迎え入れる人として生まれ変わったのです。それは人の選択ではありません。どのような時も、正しさが幸せを実らせない時であったとしても、神さまは私たちと共にいてくださる真実。その名はイエス、人類の救いです。
【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】
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