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2019年12月15日主日礼拝説教

イザヤ書第35章 

説教『大路を先立ち』 牧師 三輪恵愛

.美しい光景を通して神さまの栄光を讃えながら、人々の姿を示す預言

緑豊かなレバノン、頂から地中海を臨むカルメル山、花が咲き誇るシャロン平原。美しい自然を讃える歌が、荒れ野、荒れ地、砂漠すらも豊かな土地に変える全能の主の栄光を誇ります。そして全能の力が語られていながら、ただ主なる神さまを誉め讃えるだけでは終わりません。全章を通して耳を傾けるなかで、次第に語り掛けられている人々の姿が見えてきます。

2.恐れに囚われている人々の姿を通して、アドヴェントの意味が問われる

この人々は弱り、膝がよろめいています。心はおののき、恐れに囚われています。歩むべき道を見失っています。見るべきものが見えず、聞くべきものが聞こえません。歩き続ける力を失い、喜びの歌も歌えません。たとえ美しい光景が広がっていたとしても、恐れに囚われた心に景色は荒涼として映ります。歩むべき道を見失い砂漠にいるような心持になるのです。待ち焦がれる人々の姿がわたしたちにも重なります。美しいクリスマス、耳に心地よい音楽を聴きながらも、先立つお方に本当にすべてをゆだねているのだろうか。頼っているだろうか。見るべきものを見ず、聞くべきものを聞かない耳にはなっていないだろうか。恐れに囚われてはいないだろうか。アドヴェントの意味を問いかけられています。

3.人の姿をとるほどに近づいてきてくださる主は、聖なる大路を先立つ

「神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる(4)アドヴェント(近づく)に、囚われの身とされている人々のもとに来てくださる救い主。預言は、神が人となられたクリスマスの奇跡を思い出させます。人となられた神さまのはじめのお姿は、手の力弱く、一人で立てず、語る言葉もない幼子でした。すべての弱さをその身に負う姿となってくださったのが「贖う主」イエス・キリストです。『神はなぜ人となりたまいしか』を著したアンセルムスという神学者は、人に先立ち、歩むべき道を示す主なる神が、肉の体を取るほどにわたしたちに「近づいて」くださった神の贖いの真実を伝えました。アドヴェントから始まる道は、やがて十字架に至る聖なる大路です。その道を先立って歩むほどに、近づいてきてくださった主イエス・キリスト。恐れに囚われているすべての人を解き放つ、神さまの姿です

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