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2020年1月15日祈祷会(歴代誌上第14章)


 


全イスラエルを礼拝を捧げる民へと導きたいダビデにとって、前章の「ウザ打ち」の出来事は大きな信仰上の挫折だったと思います。すべての人の賛同を集めながらも、神さまに「否」を示されました。しかもその「否」に対してダビデは怒りを禁じえなかったのです。そこにはダビデの如何ともしがたい傲慢がありました。すぐに「恐れ」をもって悔改めますが、彼にとっては悔いを残す体験だったかもしれません。


 ところが主なる神さまは、神の箱が「オベオ・エドム」に置かれる三か月の間、ダビデとの交わりを回復する恵みを賜ります。そこには、ひとたび「否」を示されながらも、民を礼拝へと導き続ける配慮が現れています。大きな失敗を味わっても主は励ましてくださり、歩むべき道へ戻してくださる柔らかな御心を感じさせられます。


1.一方的な恵みをもって交わりを回復される主


 神さまからの和解の知らせは、異邦人のティルスからもたらされました。ティルスの王ヒラムは王宮建設のための資材と大工をダビデに送ります。このティルス王ヒラムとダビデの親交は、サムエル記下第5章にも記されていますが、歴代誌との共通点は、どちらもティルス王ヒラムがダビデの王宮建設の支援を申し出た動機を、まったく語っていないところです。ヒラムがなにか見返りを期待したのか、ダビデと親交を結んでおけば国が守られると思ったのか、わかりません。けれども聖書は、人間の利害の感覚からヒラムの思惑をいろいろを推測することに関心をもっていません。そこには思いもよらぬ恵みがもたらされたとき、それを主なる神さまからの一方的な恵みとして感謝する信仰の在り方が示されています。


 さきほど触れたように、ダビデはこのとき挫折を味わっていたはずでした。たとえ一瞬のことだとしても、神さまのなさった「ウザ打ち」が受け入れられない自分に気づかされました。しかも神の箱を迎え入れることはできず、オベオ・エドムの家に行ってしまったのです。


一瞬だとしても、主の御心から離れてしましました。けれどもそこに思いもよらぬ恵みを賜りました。しかも王としての住まいのための援助です。これを「主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を非常に高めてくださったことを悟った(2)ダビデの信仰は素直です。神さまとの交わりを回復するにあたり、過去に拘らない爽やかさがあります。そして、恵みを私的なものとして捉えるのではなく、民を導く王への賜物として受け取っています。悔改めた出来事を通して、王として民を導くために用いる自覚が与えられているのです。さらに家族が増える恵みにすら与ります。次の王となり、神殿建設を成し遂げたソロモンはこのとき生を受けました。ダビデの血筋が続く保証も与えられたのです。これらの出来事から、ダビデの魂に配慮しながら王としての自覚を与え、イスラエルを導く主なる神さまの牧会を見る思いです。


2.柔軟な姿勢で恵みへの感謝を表す信仰


ここでダビデが恵みを受け取るだけであれば、交わりの回復とは言えません。人は神さまの恵みを受け取って、感謝をもって恵みに応える自由が与えられています。ダビデへ差し出された和解のしるしを、ダビデが虚心坦懐に受け取った大きな証しとして記されるのが、そのあとの対ペリシテ戦での、二度にわたる戦勝でした。


ペリシテ人たちは、かつてサウルから逃げてきたダビデの姿を覚えています。領主アキシュの食客として活躍しました姿から、すでにダビデの賜物を恐れていました。いまやエルサレムにあって王権を非常に高めたダビデは、捨て置けない存在。ペリシテ軍が殺到したのは、レファイムと名付けられた浅い谷です。エルサレムからベツレヘムに南下する途中にある隘路です。そこから彼らはエルサレムに向けて北上してきました。


ペリシテ人に立ち向かうにあたり、すぐにダビデはみ言葉を求めます。信仰の挫折にも関わらず、こうして神さまの御心を尋ねるダビデの姿は見事です。悔改めながらも、自責の念に必要以上にかられたり、自己卑下や自己憐憫もいたしません。「わたしは主の恵みをうけたのだから」と、すぐに向きなおってみ言葉を聞き、召された務めを忠実に果たします。「ペリシテ人に向かって攻め上るべきでしょうか。彼らをこの手にお渡しくださるでしょうか(10)この祈りには先に立って勝利してくださる主への信頼があります。「攻め上れ。あなたの手に渡す」祈りに主は応えられます。ここに、神さまとダビデの関係は「義」を回復したと言えるでしょう。


次の戦でのダビデの謙遜さはさらに際立ちます。再び神さまの御心を尋ねたところ、応えとして与えられたみ言葉は第一戦とはまったく逆のものでした。今度は正面での戦いを避けて、側面の茂みからの奇襲が示されます。ダビデは第一戦の勝利の感覚に固執せず、成功にも傲慢にならず、柔軟に神さまのみ旨に従います。自分の仕方に固執せず、新しい仕方にも柔軟に対応するしなやかさを知らされます。


加えて、ここでの神さまのみ旨は理にも適っていました。レファイムの谷での第一戦では、ペリシテ人はイスラエル人の抵抗をあなどって隘路に侵入しました。狭い道での戦いで、ダビデの勇士たちが大いに活躍したでしょう。また第二戦では、先の敗北で正面に警戒し、側面への注意が散漫になったところへの側面からの奇襲でした。神さまから与えられた道がじつに整えられた道であることを知り、ダビデたちは心から信頼して務めにまい進したことでしょう。かくして長年の仇敵であったペリシテ人を二度も打ち破り、ダビデの名声はさらに高まったのでした。


3.柔軟な信仰を以て、勝利の恵みを受け取る


本章では、ダビデが王としての役割を高めていく道のなかで、二つの異邦人との関わりが用いられているところが印象に残ります。一つはティルス王ヒラム。ダビデに協力します。もう一つはペリシテ人。ダビデの務めを妨害します。じつにエズラのときも、神殿再建のためティルスやシドンからレバノン杉が輸入されました。これらの異邦人からの手助けがあったとき、彼らはそれをダビデの姿を通して「これは神さまからの祝福と恵みなのだ」と悟ったことでしょう。また周辺の異邦人には神殿再建を妨害する民族もいました。けれどもダビデのようにみ言葉に聞き、まことの礼拝を求める業を止めることはありませんでした。


神さまとの交わりを回復したダビデの姿から、冷静さを失うことなく、柔軟にみ言葉に応えるしなやかな信仰を知らされます。この信仰の柔軟さが堅い壁をも打ち砕きます。「神は敵をこの手で水が堤防を破るように打ち破ってくださった(11)


主御自身が勝利してくださる信仰の戦い。越ええがたい試練に見舞われたときは、静かに主のみ言葉が聞こえるのを待ち、柔軟な信仰をもって主の戦いを見守る仕方も選び取ることができます。水が堤防を打ち破るとき、まず小さな亀裂から水が入り込み、いつの間にか硬い壁をも穿っていきます。主のみ旨に柔軟に従う信仰が、主の勝利に与る恵みをしっかりと受け取ることでしょう。


 

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