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2020年1月19日主日礼拝説教

 

コリントの信徒への手紙一第1章4-9節 

説教『満たされる賜物』 牧師 三輪恵愛

. 歩み始めた教会の信仰が危いにも関わらず、感謝の祈りをささげるパウロ

「主も最後まであなたがたをしっかり支えてくださる(8節)、また「わたしは、あなたがたについて、いつも神に感謝しています(4節)と手紙の書き手は、「その調子で、しっかり歩んで!」新しく歩み始めて久しい教会の人たちの信仰の歩みを励まし、喜んでいるように思えます。ところがコリントの教会はこのとき、信仰が乱れ、教会が分裂し、倫理的にも退廃していました。手紙の書き手であるパウロが、本心とは裏腹の祈りをささげているとは思えません。たとえ信仰の歩みが乱れていても、弱まっていても、コリントの人たちを覚えて彼は本心から祈っています。

2.感謝している「一つも欠けるところのない賜物」が示しているもの

彼らの信仰が危いにも関わらず、パウロが感謝していることとはなんでしょうか?「あらゆる言葉、あらゆる知識(5節)」が豊かにされ、「賜物が何一つ欠けることがなく(7節)この教会は賜物が豊かな人たちがいたようにも思えます。コリントは往来が盛んな商業都市。豊かな賜物を持った人たちもいたでしょう。けれども豊かさがかえってあだとなり、分派が生じ(1章後半)、倫理が乱れ(5~7章)、互いの優劣を競う(12章)教会になっていました。教会が乱れるならば、それは神の賜物とは言えません。パウロが言う賜物とは、何を指しているのでしょうか。

3.「最後までしっかり支えてくださる神さまが」満たす賜物

み言葉に聞けば、この賜物は「キリストに結ばれている恵み(5)であり「キリストについての証(6)の言葉であり知識です。いわゆる「才能(タレント)」と読み替えが可能なものではありません。キリストに結ばれていてこそ「何一つ欠けることなく(7)」「非の打ちどころのない者にしてくださる(8)ものなのです。「キリストを証するための豊かな言葉や知識はない・・・」そうでしょうか?「主イエス・キリストの交わりに招き入れられた(9)こと、それは不確かな信仰、自分自身では「しっかり支えること」もかなわない弱さをこそ賜物として受け取り、キリストに満たされていく交わりです。満たされる欠けを賜物として受け止めることです。「打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません(詩編51:19)新しい歩みをはじめたいと願う季節、最後までしっかり支えてくださる神さまは、弱さを賜物として受けとめるところにキリストとの堅い交わりを与えてくださいます。それこそ天来の賜物なのです。

【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】

 

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