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2020年3月4日祈祷会(歴代誌上第22章)

 

サムエル記下ではソロモンの出自が詳しく記されていました。第11章から12章にかけて、ウリヤの妻バト・シェバを見初めたダビデが卑劣な手を用いて自分のものにします。しかしその罪は預言者ナタンの口を通して激しく告発され、バト・シェバが宿した子は命を落とすこととなります。その次に生まれた子がソロモンでした。彼の誕生がバト・シェバを慰めたので「シャローモー(安らぎ)」からソロモンと名付けられます。この言葉は「シャローム:平和」とも根と同じくします。

 初代神殿が建設された次第を伝えることに重きを置く歴代誌は、ソロモンの出自を記すことについてはサムエル記にすっかり任せています。すでに生を受け「若くて弱い(5)と言われながらも王子となったソロモン。ナタンが語った預言のとおり、ダビデは「わたしが準備しなければならない()と言って準備に心を砕きます。父から子へ、継承される業のなか「ソロモン」の名のとおり、神さまと交わる「安らぎ(9,18)が、神殿の建設準備を通して満ちていきます。

1.自国民と異邦人へ、双方への配慮が光る采配

 まずダビデは、寄留民を採石労働者として召し出します。またレバノン杉の木材を運ぶため、シドン人、ティルス人が大勢やってきました。神殿建設の準備のさきがけに、他国に生まれながらイスラエルで生活をせざるを得なかった寄留民、またシドン、ティルスといった異邦人が働き始めていることに驚きます。

ここにはイスラエル国民と、異邦人の双方への配慮が示されています。ダビデが人口調査の過ちを犯したとき、主はお怒りになり、7万人のイスラエル人を打ちました。全体の人口からすればそれほど多い被害ではありません(剣を取る男子だけで147万人)。けれども、やはり7万人の人が倒れたことは尋常なことではありません。ダビデは自国民を休ませ、代わりに寄留民の労働力を募ります。これは、かつてエジプトがヘブライ人を奴隷としたのとは異なります。「採石労働者」、賃金の支払いが発生する労働者です。そのとおり14節には賃金として「金十万キカル(156千万円)、銀百万キカル(6,342億円)準備されています。加えて寄留者は、イスラエルのなかに土地をもたない人たちでした。 「あなたたちは寄留の民を愛しなさい(申命記10:19)と律法に庇護が定められているとはいえ、土地を持たないため、生活が安定しません。

けれどもここで神殿造営の賃金を得たならば、彼らはそれをもとでに生活の資を得ることが出来ます。さらには、自らも神殿の建設に加わったという体験、すなわち「神さまに喜ばれることをささげた」という意識が信仰の基となったはずです。ダビデは、イスラエルの民を休ませる一方、寄留民、異邦人に賃金を払って恵みを与えました。しかも神殿建設に仲間に加えることで、霊的に信仰者へと導いているのです。

2.責任に裏打ちされた後継者への継承

 すでに権力の基盤は固まり、もはや抵抗する勢力もいないダビデ。イスラエルのみならず周辺諸国からの財の提供も受けるほどに、豊かな王となっていました。しかし彼はそれでもソロモンに、神殿建設の務めを継承します。それはすでにナタンを通して語られた主のみ言葉によるものでした。

ただ本章には、それに加えてこのような理由も語られていました。「あなたは多くの血を流し、大きな戦争を繰り返した。わたしの前で多くの血を大地に流したからには、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない(8)。ダビデはイスラエルの国土と民を守るため、たしかに戦争を繰り返しました。それは王としての務めなのですから、致し方ないようにも思えます。ただ、主はたいへん厳しいお方でもあります。モーセがメリバの水を杖で打ったことで約束の地に入れなかったように(申命記32:51)、選びと定めは動かすことはできません。けれどもモーセもそうであったように、ダビデは定めを粛々と受け止め、むしろ後継者に継承する役目を恵みとして捉えています。じつにもう晩年に差し掛かろうとしているダビデの成熟した信仰を見るようです。息子ソロモンへの愛のようにも思えますが、神殿建設の難しい務めを継承するのですから、それは単純な甘い溺愛ではありません。厳しくもやりがいのある務めを継承させる、深い愛です。

3.礼拝する群れの究極の完成を目指して

 ダビデは、神殿建設の務めを継承するにあたり、三つのことを遺していきました。一つ目に、11-13節に示される、霊的指針です。「主がイスラエルのために、モーセにお授けになった掟と法を行うように心掛けるなら、そのとき成し遂げることができる。勇気をもて。雄々しくあれ。恐れてはならない。おじけてはならない(13)。父から息子への諭しの言葉ですが、モーセの掟と法に従うようにとの厳しい訓示でもあります。ただ、そうして主の道をそれないで歩むところに、雄々しく、恐れず、おじけることのない人生があるとはっきり語ります。み言葉なる神さまと共に生き続ける深い恵みを示します。 

次に、ダビデは物的準備を遺します。さきほど触れたように、莫大な国庫をすべて残します。また造営のための資材も、労働者も残します。大きな務めを継承させるにあたり、ダビデは何一つ持ち去らず、すべてを地上に置いていきます。これを余すことなく用いるときに「主が共にいてくださる」と語ります。思えばすべての教会は、先達から引き継いだものばかりに生かされています。霊的な訓示と共に、具体的かつ物的な支えもまた、神さまに仕える業の継承には欠かせません。

そして最後にダビデは、イスラエルの人たちへ、ソロモンを支援するようにと呼びかけます。「あなたたちの神、主は、あなたたちと共にいて、周囲の者たちからあなたたちを守り、安らぎを与えられたではないか(17)。神殿を建設するため、信仰の根本を通して、人々の結束を呼びかけます。それは「神さまが共に居てくれた。だから安らぎを得ることができたのだ」との真実を中心にするものです。王の命令ではなく信仰者、いえ説教者として真実を語ります。礼拝によって得られる恵みを悟らせ、ソロモンと共に礼拝する場所を整える事業に招くのです。

神さまを礼拝するために相応しい場所の、究極の完成とはなんでしょうか。たとえ百年、二百年、千年長持ちする建物が残ったとしても、それは礼拝する場所の完成とは思われないでしょう。教会は「終わりの日に備えながら、主が来られるのを待ち望(日本キリスト教会信仰の告白)みながら、礼拝し続ける民のことを言うからです。ですから、教会は信仰が継承されながら、究極の完成に向けて常に建て上げられ続けます。先を行くものが後に来るものの為に備え、残し、伝えながら、教会はイエスさまの再臨までの終末の時を生きるのです。

 はじめは神殿建設を祈り願っていたダビデでしたが、主はすぐに「わたしのために神殿を作るのはあなたではない」と言っておられました。本章に至ってその通りとなります。「神なる主の神殿はここにこそあるべきだ」とついに、相応しい場所に確信を持ったダビデは、子のソロモンのために備えます。この父子の間で交わされた神殿建設事業の継承のなかに、わたしたち教会に生きる民にも示される、教会の務めが示されているように思います。

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