2020年3月29日主日礼拝説教
マタイによる福音書第18章15-20節
「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
説教『主の御名によって』 牧師 三輪恵愛
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。(20節) |
1.たとえ小さな群れであっても主が「その中にいる」との約束に生きる教会
福音書のなかで「教会」という言葉が語られるところは2か所しかありません(マタ16:18と18:17)。教会へ語られる今日のみ言葉で「二人または三人」でも「わたしもその中にいる」との約束は、これまで教会をどれほど勇気づけたでしょうか。「インマヌエル(インマー:共に,ヌー:わたしたちと,エル:神)」という名も伝えるこの福音書(マタ1:23)。お姿が見えなくても、この方は「名によって集まる」群れに、共にいてくださる神さまなのです。
2.しかし集まる群れは「罪を犯した人のところに行って忠告する」ためのもの
ただし今日のみ言葉は、ただ共にいる神さまのお姿を示すばかりのものではありません。「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい(15節)」。「忍耐せよ」でも「怒れ」でもなく「行って忠告しなさい」と言われます。「聞き入れなければ異邦人か徴税人と同様に見なしなさい(17節)」それは天の国に生きていない人、恵みをかすめ取るような人の姿です。その姿で、共に教会に生きる人を、傷つけ、悲しませる罪です。「そのような罪は見逃してはならない。忠告してあげなければならない」とイエスさまは言われるのです。
3.イエスさまの存在は、このお方の願い「つないで解く」赦しの業にこそある
たしかに教会と言えども、信仰が豊かになることばかりが起きるわけではありません。つまずかされることも起きます。「神さまを信じ、恵みに信頼して生きていきたい」と願う心が傷つけられ、信仰が揺さぶられることも起きるのが教会の現実の姿です。それならば「わたしたちと共にいる」と約束されたイエスさまは、そういった教会と共に居てはくださらないのでしょうか。そうではありません。「異邦人か徴税人と同様に見なしなさい」と言いながらも「教会から追い出しなさい」とは言われません。「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、地上で解くことは、天上でも解かれる(18節)」と、魂が神さまとつながるように祈り、罪から解かれることを祈り願う群れのなかに、イエスさまはご自分の名を与えてくださるのです。「ナザレのイエス」という罪状書きを打ち付けられた十字架に罪は集められました。それでもこの方は「その中にいる」と約束してくださるのです。「我らに罪を犯すものを赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」と主の御名によって祈り続ける群れとともにいる神なのです
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