« 2020年2月26日祈祷会(歴代誌上第21章) | トップページ | 2020年3月4日祈祷会(歴代誌上第22章) »

2020年3月1日主日礼拝説教

 

マタイによる福音書第27章27-32節 

説教『祈りの十字架』 牧師 三輪恵愛

 

兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、

イエスの十字架を無理に担がせた。(32節)

 

.明日をも知れない命を意識させられるとき、最後までやり通すものがあるか

一週間を「七日の旅路」と表現することもあります。健やかに次の日曜日に辿り着くことが出来たとき、神さまの導きと恵みを感謝する思いになります。「たとえ世界が明日、滅びようとも、わたしは今日、リンゴの木を植える」という有名な言葉があります。ルターの言葉と言われています。「もっとも大切にしていることを最後の瞬間までやり通す」という意味だと思います。七日の旅路を歩むなかで、命の終わりがいつ訪れるか誰にもわかりません。そのような時「自分にとって『リンゴの木を植える』に等しい大切な務め」を知っていることは、大きな支えとなることでしょう。

2.信頼を失わせる世の言葉や行いに、黙して命を献げ続けるイエスさまの姿

けれども終わりの時が迫る絶望のなか、昨日と変わらずに務めを果たし続けることができるものなど、この世にあるのでしょうか。2月26日から受難節が始まりました。イエスさまの十字架とご受難を見つめる季節です。兵士たちが十字架を担ごうとされるイエスさまを痛めつけます。神さまに信頼し続ける姿を、兵士たちはあざ笑うのです。「祈りに希望などあるものか。やめてしまえ、お前はこれから十字架に死ぬのだ。なにを信頼するというのだ?」。それでもイエスさまは十字架を負われていきます。このお方にとっては、絶望の際に立たされても主なる神さまに信頼することが、命の最後に至るまで果たす務めだったのです。

3.イエスさまの痛みと愛が伝わるほどに十字架を負ったクレネ人シモンの召命

このとき過越しの祭りにきていたクレネ人シモンは、「罪人ナザレのイエス」とはまったく関係のない人でした。兵士たちから無理やり担がされたのです。「なぜこの人は、十字架を負っているのか」シモンは、傷つき、痛みを負い、それでも確固たる思いでゴルゴタの丘に登るイエスさまを、もっとも間近に見て、十字架の重さを知る人となりました。主なる神さまが、最後までご自分に信頼する姿を示すために、十字架という恩寵を強いてシモンに負わせました。世が絶望を垣間見ようとするときも、それでも主なる神さまに信頼して祈り続ける。そこに、共にいてくださる主を示すために。わたしたちは最後の時まで、為すべきことを与えられております。祈りの十字架をキリストと共に負う、命の恩寵です。

 

« 2020年2月26日祈祷会(歴代誌上第21章) | トップページ | 2020年3月4日祈祷会(歴代誌上第22章) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 2020年2月26日祈祷会(歴代誌上第21章) | トップページ | 2020年3月4日祈祷会(歴代誌上第22章) »

フォト

カテゴリー

写真館

  • 201312hp_2
    多田牧師「今月の言葉」に掲載したアルバムです。(アルバム画面左上のブログ・アドレスをクリックしてブログに戻れます。)
無料ブログはココログ