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2020年3月8日主日礼拝説教

マタイによる福音書第7章1-6節 

 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

 

説教『まなざし、澄みゆけば』 牧師 三輪恵愛

.「信徒の訓練」を重んじる教会が、信仰の良し悪しを伝えなくてもよいのか?

よく訓練された教会は試練に強くなります。『日本キリスト教会信仰の告白』は、教会を「信徒を訓練」するところと理解しています。イエスさまが再び来られるまで、信仰を堅く保つための訓練を大切にしているのです。ただ、そのためには信仰の在り方の良し悪しを互いに確かめなければならないこともあります。それを忘れてしまえば、教会は体を無くしてしまいます。けれどもイエスさまは「人を裁くな」と言われます。信仰の良し悪しを明らかにして互いに伝えることも辞めてしまったら、教会は力強い歩みを続けていくことができるでしょうか?

2.大切なのは「自分の丸太を取り除くこと」、そこから教会の訓練がはじまる

「兄弟の目からおが屑を取り除くことができる(5)とも言われるイエスさま。信仰のまなざしを曇らせているものがあるならば、それを互いに取り除きあうことを勧めておられます。ただし、その順序が大切なのです。「偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け(5)人は自分が正しいと思わなければ裁くことはできません。その時、神の正しさを忘れ、人の正しさで裁いてしまいます。人の裁きは、目の中に丸太がはまるほどに神さまの御業を見えなくしてしまうのです。イエスさまは、わたしたちにそのようにはなって欲しくないと願っておられます。「まず『人を裁く』という丸太を取り除く、それが先だよ」と言われるのです。

3.その人がどれほど神さまに愛されているかを正しく量るとき、丸太は・・・

イエスさまは「自分の量る秤で量り与えられる(2)とも言われます。「量り与える」には、その人の在り方をすべて秤にかける必要があります。「裁く」時、わたしたちは人を軽んじ、少なく見積もろうとします。そうではなく、その人の在り方を、価値の高さを、そして神さまがその人をどれだけ愛しておられるか、よく考慮して、互いにまなざしの曇りを取り除いていきなさい。そう言われるのです。人はイエスさまを裁きに裁いて、十字架につけてしまいました。赦し、受け入れ、愛する価値の尊さが分からなかったのです。でも「神聖なものを犬に与えるのでも、真珠を豚に与える(6節)」のでもない、その価値が分かるあなたがたにキリストの十字架を与えたのだから。神さまはそういわれます。丸太を取り除き、縦と横の十字架にしてイエスさまは背負ってくださいました。わたしたちの信仰のまなざしをイエスさまのまなざしにしてくださる、そのための信徒の訓練です

 

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