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2020年4月12日イースター礼拝説教(無会衆)

(試験運用した配信動画・10分程経過してから礼拝開始)

(説教音声のみ)

マタイによる福音書第25章31-46節(新50p) 

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

 

説教『天の国に生きる』 牧師 三輪恵愛

はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、

わたしにしてくれたことなのである。(40)


.喜ばしいイエスさまのご復活の奇跡。けれども「わたし」との関わりは・・・。

「行って、わたしの兄弟たちにガリラヤで行くように言いなさい。そこでわたしと会うことになる(マタイ28:10)復活の日曜日の朝。悲しんでいた女性たちに、復活のイエスさまは故郷ガリラヤでの再会を約束されます。弟子たちの驚きと喜びに思いを寄せるイースターです。ただ、ふと静まって思うことはイエスさまのご復活が「わたしの“今”にどのように関わってくださるのか」ということです。「イエスさまは復活した。けれどもわたしは復活し永遠の命をいただけるのだろうか」これは、イエスさまに信頼して生きていく道を選んだ人にとって喫緊の問いです。

.十字架の前に予告されている「永遠の命にあずかる(46)人たち

十字架にお架かりになる前のイエスさまが「永遠の命に与る人たち」を示しておられます。「王さま」すなわち天の国の王である神さまが右に分ける人たち。それは羊飼いの後にしたがう羊のような人たちです。「わたしが飢えていた時、渇いていた時、旅をしていた時、裸の時、病気の時、牢に居た時、あなたは助けてくれた」。けれどもこの人たちは、まったく自覚がありません。「そんなことはした覚えがありません」。そこで神さまはお答えになります。「わたしの兄弟である最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことである。(40)

.どのような小さな愛の業もお見逃しにならない、イエスさまの訪れ

かたや山羊のように羊飼いに従わなかった人たちは神さまから遠ざけられます。「あなたのお世話をしたのに!」と訴えますが、この人たちは力ある人、声が大きい人、権威のある人には従いながら「最も小さい者」を愛することを忘れていたのです。厳しい裁きが語られます。どれほど今、愛の業に生きているでしょうか。でも神さまは「最も小さい者の一人にしてくれたこと」を決してお見逃しになりません。世界は実に力弱い人、声の小さい人、虐げられている人、悲しんでいる人からの訪れに満ちています。心動かされて自覚もないままに愛し、助けていることもあるのです。すでにそこにイエスさまの訪れがあります。助ける側にも、助けられる側にも立ち、このお方はわたしたちのどんなに小さな愛の業にも生きていてくださいます。天の国に生きる幸い、すなわち永遠の命はもうそこに始まっているのです。誰しもやがては「最も小さい者」になるのですから。



 

 

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