2020年5月17日礼拝説教(無会衆)
(説教音声のみ)
(配信動画アーカイブ)
礼拝式順
招詞 使徒言行録第17章26-27節
讃美歌 4(1,2,3,4節)
主の祈り
交読文 詩編第66編10-20節(交読詩編69p)
讃美歌 58
聖書 マタイによる福音書第27章62-66節(新59p)
祈 祷
讃美歌 333
説教『約束は揺るぎなく』 三輪恵愛牧師
祈 祷
讃美歌 390
頌栄 24
祝祷
※使用される聖書と讃美歌
日本聖書協会『新共同訳』
日本基督教団出版『讃美歌21』
マタイによる福音書第27章62-66節
明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。
説教『約束は揺るぎなく』 牧師 三輪恵愛
あの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。(63節) |
1. 真実の言葉を信じられず疑いに支配される、祭司長とファリサイ派の人たち
ゴルゴタの丘に夕闇が迫るころ、十字架刑が終わりました。そして過越祭の安息日がはじまった夕べ、ローマ総督ピラトのもとに祭司長たちとファリサイ派の人々が集まります。意見の対立も頻繁に起こしていた二つのグループが、しかも安息日にローマ総督のもとにあつまるほど、彼らには重大な疑念がありました。「弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません(64節)」。十字架に追いやってもなお、復活の予告を思い出し、阻止しようとします。
2.人にすべてをさせたうえで、打ち破ることのできない愛を示す神さま
祭司長とファリサイ派の人たちは、イエスさまのすべての働きを破壊するために、人の力で為し得るすべてのことをしつくしました。鞭を打って肉体を破壊し、十字架に架けて命を奪い、いまや最後の一手として、イエスさまを永遠に墓の囚人にしようとしています。しかし、これらのゴルゴタの丘の結末が示すことは、人が神の御業の前に、為し得ることは、まったくなくなってしまったということでもあります。むしろ神さまが、人の手で抵抗しうることをすべてさせているのです。それは、神の愛の力を打ち破ることは、人には絶対に出来ないことを証しするため。この安息日に、神さまは、ただ黙してなすがままにさせるのです。
3.究極の安息に身を横たえ、ただ神の力を待つイエスさまの御姿
祭司長とファリサイ派の人たちが思い出した復活の予告は、マタイ福音書第12章「つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹のなかにいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる(12;40)」によります。予告のとおり、三日間イエスさまはすべてを委ねて、安息のなかに身をおきます。そこは、人間がなしうるあらゆる策略も、暴力も、讒言も、責め苦も、人を苛む苦難がすべて出尽くしたところ。もうその人を苦しめるものはない静かなところ。そこにすべてを委ねるイエスさまがおられるのです。「わたしと同じようにしてご覧。すべてを天の父に委ねなさい。その時に、神の力だけがあなたに働くから」。「神、わたしたちと共に」インマヌエルの約束。究極の安息に憩いながら、イエスさまはなすすべもなくなったわたしたちと共にいて、復活の力が働く時を待っていてくださるのです。
« 2020年5月10日礼拝説教(無会衆) | トップページ | 2020年5月24日礼拝説教(無会衆) »
コメント