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2020年6月28日主日礼拝

(YouTube動画のリンクは、ライブ配信終了後、説教音声ファイルに差し替えられます)

 

 

前奏
招詞 詩編第89編6-8節
讃美歌 6(1,3節)
主の祈り
交読文 詩編第13編(交読詩編14p)
讃美歌 166(1,2,5節)
聖書 創世記第22章1-14節(旧31p)
祈 祷
讃美歌 352(1,2節)
説教『瞳は恵みを写して』
祈 祷        三輪恵愛牧師
讃美歌 156(1,2節)
献金
頌栄 24
祝祷
報告
後奏

※使用される聖書と讃美歌
 日本聖書協会『新共同訳』
 日本基督教団出版『讃美歌21』

創世記第22章1-14節

これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。

 

説教『瞳は恵みを写して』 牧師 三輪恵愛


アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。 (8)

.信じることで義とされたアブラハムを、厳しく試す神さま・・・なぜ?

 神さまを信じることで「正しい(義である)」と最高の祝福を受けたアブラハム。わたしたちの信仰の先祖でもあり、模範とも言える人物かもしれません。しかし彼が試しを受けるとは、なんと神さまは厳しいお方なのでしょうか。「神はアブラハムを試された(1)しかも、やっともうけた愛する独り子イサクを献げるなんて!けれども神さまは信仰を試します。わたしたちも試されています。神さまを最後まで信じ抜くことができるか否か。信仰の厳しい一面を伝えています。

2.モリヤへ。長く、苦しく、深い愛に満ち溢れている、父と子の三日間の旅

モリヤへの三日間の旅程は、かつてウルからカナンまで旅したときよりも、長く苦しいものだったでしょう。「愛するイサクを連れて逃げようか。この旅路がずっと続けば、モリヤが見つからなければ。なぜ主は恵みを取り上げるのか」試しに従うアブラハムに、すべての信仰者の苦衷が重なります。与えられた恵みは、長い信仰の旅路のなかで必ず取り上げられるのですから。そんな父に無邪気にもイサクは問いかけます。「わたしのお父さん、献げ物の小羊はどこ?」けれどもその答えに、アブラハムの信仰が光ります。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる(8)」愛し合う父と子は一緒にモリヤの山を登ります。

3.アブラハムへの備えも及ばない献げ物。目を上げ、神さまの恵みを見出そう!

「あなたが神を畏れる者であることが今、分かった(12)み使いがアブラハムの手を止め、振り上げた剣は降ろされませんでした。「きっと神が備えてくださる」と信頼し抜いた姿は確かに信仰者の模範です。アブラハムは目を凝らして主の備えを見出しました。そして、献げられたのはイサクが問うた小羊ではなく雄羊・・・。あなたには神さまの備えが見えていますか? 大切なもの、否「すべてを献げよ」との神さまの招きに応えられない私たち。献げようとする手を抑えるのはいつも自分自身。それでも信じ抜きたい!神さまの愛に応えたい!応えられないたびに、屠られた小羊の姿が思い起こされます。けれども神は言われます。「愛する独り子を十字架に屠るのをわたしは止めない。それがあなた方への愛なのだから」備えられていた小羊イエスさまは、エルサレムと名を変えたモリヤの山で屠られました。ヤーウェ・イルウェ(主は先まで見る)の瞳が、屠られた小羊の恵みを写すのです。

 

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