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2020年7月5日主日礼拝

(YouTube動画のリンクは、ライブ配信終了後、説教音声ファイルに差し替えられます)

前奏
招詞 ゼカリヤ書第8章22-23節
讃美歌 7(1,5節)
主の祈り
信仰告白 日本キリスト教会信仰の告白
讃美歌 270(1,3,5節)
聖書 マタイによる福音書
第11章25-30節(新20p)
祈 祷
讃美歌 289(1,3節)
説教『安らぎの幼子たち』
祈 祷        三輪恵愛牧師
讃美歌 432(1,3節)
聖餐式 
讃美歌 72
献金
頌栄 25
祝祷
報告
後奏

※使用される聖書と讃美歌
 日本聖書協会『新共同訳』
 日本基督教団出版『讃美歌21』

マタイによる福音書第11章25-30節

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 

説教『『安らぎの幼子たち』牧師 三輪恵愛

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 (29)

.重荷を下ろしに来たけれど・・・なかなか降ろしきれない現実にイエスさまは

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう(28)すべての人に向けられているこの招きの言葉。生きてゆくことに疲れを覚え、さまざまな重荷を負うわたしたちです。「ああ、心ゆくまで休みたい」。そんな時、礼拝のなかでみ言葉に聴き、慰めを感じ、安らぎを覚えることもあるでしょう。けれども日曜が終わり、ふたたびはじまる日常生活。「また、疲れてしまった。重荷を感じている。わたしは信仰が薄いのだろうか・・・」いったいイエスさまは、疲れたわたしたちをどのような生き方に招いておられるのでしょうか。

2.休ませてくださるイエスさま。しかし新たに軛と学びをも教えようとされる

 招きの言葉に先立って祈られるイエスさま。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました(25)天の国の近づきを宣言し、神さまに身を向ける(悔い改める)生き方が「幼子(「未熟者」とも訳される)のようなもの」にこそ示されるというのです。賢く知恵を習得しても、神さまの御心を知るには常に未熟。賢さ、知恵がむしろ本来、負うべきではないものを背負わせることすら起きます。「天地の主である父」に身を向けたとき、本当に負うべきものが示されてくるのです。

3.ぴったりの軛を結わえるイエスさま。負っても疲れず、重荷と感じない

命ある以上、わたしたちには必ず務めがあります。天地の主である父は今日もわたしたちを務めに活かしておられるのです。その務めから心の重心が離れていては、どんなに小さいものでもただ重荷に感じるばかり。けれどもイエスさまは「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい(29)と荷を負うための軛を与え、負い方を教えてくださいます。「これこそ神さまがわたしにこそ与えてくださった務め!」と素直に受け取る時、幼子のような心は躍ります。だって神さまがわたしたちを信頼し、任せてくださったのですから!「休ませてあげよう」と言われるのは、それぞれの真の務めを示し、軛を負ってふたたび歩むため。与えられた務めを心の重心に近づければ、もう疲れることはありません。「神さま、御心にかなう務めを任せてください」この祈りの軛があればこそ、ご栄光を背負う命は安らぎを覚えます。かけがえのない務めを、神さまが与えてくださったからです!


 

 

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