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2020年8月19日祈祷会(歴代誌下第11章)

 ダビデ、ソロモンと続いていたイスラエル統一王国から、北の諸部族が離れていってしまいました。彼らは代表に据えたヤロブアムを王にし、北王国を建てます。その原因には、レハブアムの愚かさが引き立っていました。彼らの不満を真剣に受け止めず、若者の意見に従ってしまったのです。

 北の諸部族の離反に、統一が裂かれていく痛みがあります。歴代誌が重んじる神殿での礼拝を中心に考えると、それは一緒に礼拝した兄弟姉妹が裂かれる痛みでもあります。「(すべてのイスラエル人)は、主がダビデとソロモンとその民イスラエルになさった恵みの御業を喜び祝い、心は晴れやかであった(歴下7:10)」それなのに礼拝から離れていってしまう兄弟姉妹。その痛みはわたしたちも感じる所です。

 レハブアムは北の諸部族を無理に引き戻そうとします。しかしそこに神の人シェマヤによる制止が入りました。そして前章のとおり、これは「主の御計らい」だという真実がレハブアム以下、ユダとベニヤミン、すなわち南王国の人たちに明かされます。

1.性急に人を裁く過ちからの解放「主の御計らい」

「えり抜きの戦士十八万を招集し・・王国を奪還(1節)」しようと準備万端の彼らでした。いまから戦端を開こうとしている興奮した軍隊を止めるのは至難の業です。そこに神の人シェマヤが遣わされました。十八万人の軍隊の前に、戦争を止めるためにたった一人立つのです。このようなことは、主のみ言葉に大きく信頼してなければできません。

 たしかに彼の名シェマ・ヤがその働きを豊かに示しています。「シェマー:聞く、聞いている」「ヤー:(ヤハウェなる)」主は」という二つの言葉から成ります。まず「主は聞いている」と訳すことができます。それは「主は、確かにあなたがたの叫びのすべてをお聴きになっている」というほどの意味です。つまり北の諸部族が離されいったことへの怒りと苦悩をわたしは聞き届けている、ということを彼らは思い巡らすことができたでしょう。さらには「主のシェマー」、それは律法のなかの律法とも言われる申命記6:4以下を想起させる名前でもあります。「聞け、イスラエルよ(シェマー・イスラエル!)。我らの神、主(ヤー)は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい(4-5節)」それほどの名を持つ人がたったひとり十八万の軍勢の前に立つのです。なんたる光景でしょう!レハブアム以下、その語られる言葉にかたずをのんで聞き入ったでしょう。

 「『主はこう言われる。上って行くな。あなたたちの兄弟に戦いを挑むな。それぞれ自分の家に帰れ。こうなるように計らったのはわたしだ。』」彼らは主の言葉を聞き、ヤロブアムに向かって行くことなく帰って行った(4節)」こうして主に信頼して語ったシェマヤの言葉が、いきり立つ軍勢の耳を主のみ言葉に向けさせたのでした。寸言鉄のごとき説教です。

 それにしても、彼らをもっとも安心させたのは、「こうなるように計らったのはわたしだ」ではないでしょうか。「ああ、神さまがなさったことなのか」この理解が「誰が悪いのだ!?」と、誰かを裁き、罪を負わせようとする心を和らげます。

 意味が分からないことが起きたとき、わたしたちはいろいろと焦り、人を裁き、責めるものです。しかし「主の計らい」だと言われれば安心できる信仰を与えられています。パウロは裁きあう混乱に陥ったコリント教会にこう語りました。「ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはなりません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります(1コリ4:5)」ユダとベニヤミンの人たちは、シェマヤの大きな働きによって神さまのみ言葉に立ち帰り、向き直る信仰に生かされています。神さまの御心が明らかにされ、性急に人を裁く過ちから解放されています。

2.礼拝する神殿を中心にする南王国の形成

 さて、もうひとつ明かされる真実があります。離れていった北の諸部族が目指すところは、神殿を離れた人間中心社会の形成でした。「ヤロブアムは、聖なる高台、山羊の魔神、自ら造った子牛に仕える祭司を自分のために立てた(15節)」

 当初彼らがレハブアムに突き付けた条件は、労働や税の軽減でした。しかし人間的な条件を理由にして、それが受け入れられず、神殿での礼拝から離れたところで、彼らは神ならぬものを中心にすえています。わが身勝手が、神中心の信仰から人間中心の生き方に落ちてしまっているのです。結局のところは、ヤロブアムによる独裁的支配に至ります。礼拝から離れることで始まった北王家への歴代誌のまなざしは厳しいものがあります。

 しかし北から「主の御心を求めようと心に定めた者たち(16節)」が南にかえってきます。「イスラエル中の祭司とレビ人は、そのすべての領土からレハブアムのもとに集まって来た。レビ人が自分の牧草地と所有物を捨ててユダとエルサレムに来たのは、ヤロブアムとその子らが彼らを遠ざけ、主の祭司であることをやめさせたからである(13,14節)」

 神の選びを垣間見る思いです。主の御計らいを求める人々が礼拝に戻って来ます。先述したように歴代誌は、神殿での礼拝を重んじる南王国の歴史を記します。そこには、南北のまたがるダビデの血筋に注目していたサムエル記、列王記と異なる視点があります。

3.神さまが霊的に成長させるための「御計らい」

 レハブアム以下、ユダとベニヤミンの人たちは、はじめは受け入れられなかった北の諸部族の離反を、「主の御計らいだ」と言われ、安心することができました。起きている出来事の意義が明らかにされ、安心して、いま与えられているものを充実させていきます。「彼はこれらの砦を強くして、そこに長官を置き、食糧と油、ぶどう酒を蓄えた(11節)」

 主の御心が示されたのであれば、落ち着いて、み言葉に従うことが肝心です。なにかと人の責任に目が囚われ激高しているときは、だいたい何事もうまくいきません。彼らのように落ち着いて、防備を固めるなかで意味が次第に明らかにされるものです。 

 「また彼は賢明に行動し、その息子たちの何人かをユダとベニヤミンの全土に、すなわちそのすべての砦の町々に配置して、豊富な食糧を彼らに与え、また大勢の嫁を彼らのために探し求めた(23節)」レハブアムが賢明に行動するように成長しています!シェマヤをお用いになってレハブアムを霊的に成長させた主は素晴らしいお方なのです。

 こうして南王国の存在意義が、レハブアムの成長をとおして明らかにされました。エルサレム神殿を中心とした南王国の在り方がこれからも御心を示すために用いられます。これが、レハブアムの愚かさをもちいた主の御計らいだったのです。

 わたしたちには性急に裁かず、互いの霊的な成長を祈り合う喜びが与えられています。神さまが愚かな人間を愛するのは当然です。その人はこれから賢くなっていくからです。愛するに足る賜物がなくても、愛することによって価値あるものにしてくださる神さまの創造的な愛です。「兄弟たち、あなたがたのことをいつも神に感謝せずにはいられません。また、そうするのが当然です。あなたがたの信仰が大いに成長し、お互いに対する一人一人の愛が、あなたがたすべての間で豊かになっているからです(Ⅱテサ1:3)」神さまが霊的に成長させてくださる奇跡を、ともに喜べる教会を求めていきましょう。


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