2020年8月23日主日礼拝
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前奏
招詞 イザヤ書第51章4-6節
讃美歌 6 (1,3節)
主の祈り
交読文 詩編第138編(交読詩編151p)
讃美歌 115 (1,2節)
聖書 ローマの信徒への手紙
第12章1-8節(新291p)
祈 祷
讃美歌 352(1,2,3節)
説教『ともに献げよう』
祈 祷 三輪恵愛牧師
讃美歌 512(1,2,4節)
献金
頌栄 27
祝祷
報告
後奏
※使用される聖書と讃美歌
日本聖書協会『新共同訳』
日本基督教団出版『讃美歌21』
ローマの信徒への手紙第12章1-8節
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。
説教『ともに献げよう』牧師 三輪恵愛
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。(1節)
1.キリストを信じる信仰を論理的に語ったあとで、実践を示す箇所へ
ローマの信徒への手紙は「第12章からは信仰の実践について記されている」と評されることがあります。それまで「キリストを信じる信仰とはどういうものか」と筋道をたてて説明してきたところで、12章からは「信仰をもって生活するとはどのようなものか」、実践することを説くのです。「神の憐みによって勧めます」と語り始め、6-8節では「預言」「奉仕」「教え」「勧め」「施し」「指導」と、たしかに信仰をもって教会でなされる業を語っているので、その評価には説得力があると思います。
2.キリストの体として一つであるために、過大な評価は戒められる
こうした豊かな賜物もあり「数は多い(5節)」とあるので、ローマの教会には様々な人々がいたのでしょう。中には「わたしの賜物は優れている!」と自負していた人もいたかもしれません。そこでパウロは3節で「自分を過大に評価してはなりません」と注意を促しています。それは「キリストに結ばれて一つの体を形作る(5節)」教会にとって、神さまに奉仕をささげるときに、妨げとなったからなのかもしれません。「むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです(3節)」と続け、ともに神さまに献げることのできる教会へ導きます。
3.自分に与えられている賜物を正しく見極めて、共に献げていく教会へ
ただし「慎み深く評価すべき」と、評価をすることは否定していません。わたしたちは神さまから「与えられた恵みによって賜物を持っている(6節)」のだから、それがどのようなものなのか正当に評価し、その賜物によって、神さまへの奉仕の業を献げていきなさい、と勧めているのです。「慎み深く評価する」それは、自分に与えられている賜物を見定めて、用いるべき時に、あるいは人に、用いていくことを含めています。だから6-8節の6つの賜物は種類の豊富さを示すものではありません。そうではなく「この賜物を与えられたから、この業を行う」と、与えられている賜物によって、すべてのことは献げられていくことを強調しているのです。それらは独りで献げようとしているうちには気づけない、神さまに与えられた賜物です。キリストに、共に結ばれていればこそわかるものなのです。キリストに一つに結ばれて、互いに支え合えればこそ、わたしたちは「心が新たにされ、自分を変えていただけ」るのです。それは生けるいけにえ、同じキリストの一つの体とされているからなのです。
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