2020年8月16日主日礼拝
(YouTube動画のリンクは、ライブ配信終了後、説教音声ファイルに差し替えられます)
前奏
招詞 詩編第133編
讃美歌 12(1,2節)
主の祈り
交読文 詩編第67編(交読詩編70p)
讃美歌 56(1,2節)
聖書 マタイによる福音書
第15章21-28節(新30p)
祈 祷
讃美歌 412(1,4節)
説教『憐みのひとかけら』
祈 祷 三輪恵愛牧師
讃美歌 430(1,3節)
献金
頌栄 25
祝祷
報告
後奏
※使用される聖書と讃美歌
日本聖書協会『新共同訳』
日本基督教団出版『讃美歌21』
マタイによる福音書第15章21-28節
イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わさない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。
説教『憐みのひとかけら』牧師 三輪恵愛
主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。(19節)
1.「あなたの信仰は立派だ(大きい)」と称賛される女性に期待をよせて
ティルスとシドンの地方。そこはユダヤの人々とは違う神さまを拝む異郷の地です。「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています(22節)」と叫ぶ女性も、もともとは信仰を持たずに生きてきました。ところがイエスさまと出会い、言葉を交わすなかで「あなたの信仰は立派(メガレー:“大きい”)だ(28節)」と賞賛されるほどに新しくされていきます。信仰がなかったはずのこの人に、信仰が与えられ、大きいものとされていく姿には、わたしたちも「もしかして大きい信仰になれるかもしれない!?」と期待を持たせられるのではないでしょうか。
2.しかしこの女性のように、いつも大胆に主に願うことは難しい・・・。
でも、冷たく思えるイエスさまと弟子たちの仕打ち。「イエスは何もお答えにならなかった・・・『この女を追い払ってください』(23節)」「失われた羊(ユダヤ人:神さまを信じている人たち)にしか(24節)」「(神さまの恵みは)小犬にはあげません(26節)」。信仰が芽生えてきた人にこの仕打ち。けれどもこの女性はめげずに願い続け、娘の回復を聞き届けられました。するとこの出来事は、娘のために食い下がって救われた大胆さが模範として示されているのでしょうか。しかし苦難のとき、叫ぶこともできないほどに打ちひしがれるのです。この女のような願い方がいつも出来るとは限りません。
3.ひれ伏したからこそ見えてくるもの。小犬のまなざしに憐みのひとかけらが映る
「わたしを憐れんでください」と叫び続けても答えはなく、恵みは信仰をもっている人のところにのみ向かう・・・。苦難への答えはなく、ほかの人ばかりが良いものを与えられているように思えるとき、目に見えない重荷に肩は重くなり、ひれ伏すよりほかありません。「わたしを救ってください」そこで女性は弟子たちを飛び越し、イエスさまに来てひれ伏しました。身の上の不幸を叫ぶ人から「キリストこそ、わたしを救ってくださるお方」との信頼を持つ人に変わっていきます。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです(現在形)」彼女は気づきます。ひとかけらの憐れみであっても、すでに恵みをいただいて生きてきたことに。それは小犬と同じように、ひれ伏して小さくされたからこそ知った神の恵みの豊かさです。「主よ、あなたの憐みがひとかけらでも、小さなわたしには大きな恵みです」自分を小さくし主の御前にひれ伏したとき、彼女の信仰は「あなたの信仰は立派だ」と言われるほどに、神さまの恵みに信頼する大きなものにされていたのです
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