« 2020年9月2日祈祷会(歴代誌下第12章) | トップページ | 2020年9月27日主日礼拝 »

2020年9月20日主日礼拝

(YouTube動画のリンクは、ライブ配信終了後、説教音声ファイルに差し替えられます)

前奏
招詞 詩編134編1-3節
讃美歌 83
主の祈り
交読文 詩編第103編14-22節
(交読詩編112p)
讃美歌 165 (1,3節)
聖書 フィリピの信徒への手紙
第1章27-30節(新362p)
祈 祷
讃美歌 356(1,2,3節)
説教『しっかりと立つ信仰』
祈 祷        三輪恵愛牧師
讃美歌 542(1,2,4節)
献金
頌栄 25
祝祷
報告
後奏

 

聖書:フィリピの信徒への手紙第1章27-30節

 ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、そちらに行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、わたしは次のことを聞けるでしょう。あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと。このことは、反対者たちに、彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示すものです。これは神によることです。つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです。

 

説教『しっかりと立つ信仰』牧師 三輪恵愛

1.反対者たちにたじろぐフィリピの信仰者に牢獄のパウロが励ましの言葉を贈る

 ほかの教会からは受け取らなかった金銭的援助も、パウロは、フィリピから贈られたものは喜んで受け取りました(4:18)。キリストにあって深く信頼を結ぶパウロとフィリピ教会。生死もわからない状況で牢獄からこの手紙を送り「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい(27)と、パウロは愛するフィリピの信仰者たちを心から気遣っています。「あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち」「反対者たちにおどされてたじろがない」そう励ますのは、彼らがしっかり立てず、反対者たちにおどされ、たじろぐことがあったからです。

2.本当に「キリストのために苦しむ」生き方など、生きられるのだろうか・・・

 「反対者」がどのような人たちを指すのかは定かではありません(律法主義的キリスト者、あるいは外部からの迫害者)。いずれにせよ彼らは「福音にふさわしい生活」に反対する人たちです。29節「キリストを信じる、キリストのために苦しむ」に反対する、つまり「キリストを信じない」「キリストのために苦しまない」生き方を信仰者に突き付ける人たちです。キリストを信じない人たちには、「なにがあっても信じ抜くぞ!」と己の信仰を振るい起こしたかもしれません。しかし「キリストのために苦しむ」生き方についてはどうだったでしょうか。苦しむ生き方を望む人はいないと思います。たとえ苦しんだとしても、その分の報いを求めるのが常です。パウロはそれでも「キリストのために苦しむことも恵み」と言い切ります。牢獄で苦しむパウロだから言えるのでしょうか。

 

3.苦しみながらも愛を貫いたキリストの十字架によって、しっかりと立つ信仰

 苦しみは取り除いてほしいものです。けれども考えてみてください。苦しまずに済む人生があるでしょうか。生きている以上、必ず苦しみはあります。29節「キリストのために苦しむ」とあります。「罪びとのためにキリストが苦しむ」とはよく聞きますが、ここでは信仰者の苦しみがキリストの「ためになる(利益になる)」というのです。つまり信仰者にとって苦しむことが、キリストこそが救い主であることを示すために用いられるのです。十字架に苦しむほどに、主がわたしたちを愛してくださったことが揺るぎない真実だからです。「これは神によること(28節)」その真実の上に、神さまはしっかりと立たせてくださいます。意味が定かではない苦しみは心を蝕みます。しかし「苦しみもキリストにより恵みになる」時、キリストの福音が示されるのです

 

« 2020年9月2日祈祷会(歴代誌下第12章) | トップページ | 2020年9月27日主日礼拝 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 2020年9月2日祈祷会(歴代誌下第12章) | トップページ | 2020年9月27日主日礼拝 »

フォト

カテゴリー

写真館

  • 201312hp_2
    多田牧師「今月の言葉」に掲載したアルバムです。(アルバム画面左上のブログ・アドレスをクリックしてブログに戻れます。)
無料ブログはココログ