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2020年9月9日祈祷会(歴代誌下第13章)

王家の血筋がアビヤ王に引き継がれました。彼は生まれたころから後継ぎとして選ばれていました。「レハブアムはマアカの子アビヤを頭として立て、兄弟たちの指導者として、王位を継がせようとした(歴下11;:22)」在位した年数は3年と、長くはありませんが、良き指導者としてレハブアムからに育てられたのだと思います。本章には、彼の王として果たした務めとして、北イスラエル王国との対決と勝利が記されます。短い在位年数のなかで起きた南北王朝の大衝突という試練にあって、アビヤ王は主なる神さまに頼りながら、山上からみ言葉を語ります。これも一つの山上の説教と言えるかもしれません。彼がこのとき確信していたものは、「とこしえの塩の契約(5節)」でした。この契約を堅く信じていたからこそ、アビヤ率いるユダ王国は北イスラエルへの勝利を「勝ち誇る(18節)」ことができました。

1.変わることのない塩の契約に基づいてアビヤは

それにしても、アビヤ王が語る「塩の契約」は、ここで唐突に出てきます。「イスラエルの神、主が、塩の契約をもって、イスラエルを治める王権をとこしえにダビデとその子孫に授けられたことを、あなたたちが知らないはずはない(5節)」と攻め寄せた北イスラエル王国に訴えますから、彼らイスラエルの人々にとっては、「塩の契約」は記憶に留めておかなければならない言葉だったようです。

この言葉が出てくるのは、民数記の第18章19節です。「イスラエルの人々が主にささげる聖なる献納物はすべて、あなたとあなたと共にいる息子たち、娘たちに与える。これは不変の定めである。これは、主の御前に あって、あなたとあなたと共にいるあなたの子孫に対する永遠の塩の契約である」。しょっぱいお塩は、料理だけではなく、古来から品物を保存するために用いられました。塩は有機物を腐敗から守ります。いつまでも状態をそのままにします。さきほどの民数記の聖句も、「不変」かつ「永遠」の契約は、塩のように、決して変わることのない契約なのだと神さまは言いいます。アビヤはそのことを心に留めながら説教しています。「とこしえ」にダビデ王家に与えられた権利は、神さまによる「塩の契約」だから、北イスラエル王国に剣を収めさせようとします。神さまに逆らうことになるからです。

ところで民数記が記す「塩の契約」の内容には、ダビデ王家に委ねられた大切な役目の起源とも言える事柄が書いてあります。「主にささげる聖なる献納物はすべて、あなたとあなたと共にいる息子たち、娘たちに与える」ダビデ王家もこの約束に基づいて、主にささげた分だけ、それは増し加えられて与えられるということになります。

たしかに、アビヤはダビデ王家が、祭司を中心に主なる神さまに仕えていることも証言しています。「主に仕える祭司はアロンの子孫とレビ人で、その使命を果たしている。彼らは朝ごと夕ごとに主に焼き尽くす献げ物を燃やして煙にし、香草の香をたき、純金の聖卓にパンを供え、夕ごとに金の燭台とそのともし火皿に火をともす。 我々は我々の神、主に対する務めを守っている(10,11節)」レビ記第6章には祭司たちが仕えるべき務めが更に詳しく記されています。この10、11節のとおりです。彼らがしていることは、み言葉に忠実に従うということです。神さまから聞いたことばを実践する生き方をしています。それがここで言われる「聖なる献納物」です。み言葉に従えば、ささげたものに、神さまはさらに増し加えて与えてくださる。それが「塩の契約」なのです。この契約を守るものとしてダビデ王家が選ばれました。アビヤ自身もまた、聞いたみ言葉に従っているという確信のもとに、言葉を与えられています。み言葉に聴き従ったからこそ、神さまがさらに語るべき言葉を与えておられる。これをアビヤは「塩の契約」に寄り頼みながら実行しています。

2.主は依り頼んで救いを求める叫びを待っている

いっぽうアビヤの説教ではヤロブアムと北イスラエル王国の姿も語られています。それは、主のみ言葉に従わない生き方です。どんな生き方か、いくつか取り出してみましょう。①「反逆(6節)」自分が正しいと思いこみ、反逆します。自分中心になっています。②「圧迫(7節)」自分中心なので他者の在り方を認められません。③「偶像(8節)」金の子牛を神と崇め、憧れている自分の強さ、賢さを投影して自分を拝んでいます。④「迫害(9節)」主を信じ仕える人を追い払い、神ではないものに仕えています。実体のないものに支配されています。北イスラエル王国が陥った悲惨は、主なる神さまを捨てて、自分中心の生き方に生きることでした。それは自分の生き方を基準にする生です。外からの声に耳を傾けることをしません。新しい言葉を受け入れません。それは、人を活かす言葉を失う生き方です。相手を批判することで自分の存在を保障しようとします。北イスラエル王国がアビヤの言葉に一言も返すことができず、暴力に訴えています。自分自身を語りだす言葉を失っているので、力に訴えて自分を正当化しようとします。実際に力に訴えることがなくても、生きた言葉がなければ、心で相手の存在を否定します。

アビヤは「塩の契約」に寄り頼み、良く語りました。そこに、その言葉を断ち切ろうと剣が迫ってきます。それは、言葉を殺そうとする剣です。死が迫ってきます。アビヤたち、ユダの人々はかまわず、「主に助けを求めて叫び」ました。主により頼む人は、危険がせまったときに助けを呼ぶことができます。この姿を、聖書はイエスさまの十字架の御姿に顕します。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」は、わたしたちのかわりに叫んでくださった救いを求める叫びです。あの叫びは、わたしたちが叫んでもよい叫びです。恐れを訴える、切実な言葉です。そこには、一切の偽りも隠し事もありません。わたしたちは、自分を中心に考えているときは、取り繕う言葉がたくさん思い浮かびます。でも、恐れが迫った時は、本当に心にある言葉しか出て来ません。み言葉に聴き従って生きる人は、本当に恐ろしいときに、主なる神さまになんといって助けを呼べばいいか知っています。「神さま、助けて!」そう言えばいいのです。神さまは、その叫び声を待っているのですね。これがきっかけとなって、魂の回復が始まります。主の言葉がわたしたちのなかで勝利するのです。ユダ王国の手に、神さまの勝利が委ねられました。「主を頼みとしたから」です。

3.変わることのない契約に基づく生きた言葉

主の助けを祈り求める人には、語るべき言葉が与えられます。パウロがこのように語っています。「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。 同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。わたしがしかるべく語って、この計画を明らかにできるように祈ってください。・・・いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう(コロサイ4:2-6)」パウロは牢につながれながも、キリストのご計画を語るべき言葉を求めていました。主こそ必ず救い出してくださるお方、だからこのお方のみ言葉のみを信じる生き方に生きる。そのことを伝えるための言葉です。それは塩で味付けされた言葉です。自分を基準にするのではなく、主の御名によって語る言葉です。相手を活かす言葉です。永遠の神さまに寄り頼んで語る、魂を活かす言葉です 。

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