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2020年9月13日主日礼拝

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前奏
招詞 出エジプト記第15章2節
讃美歌 4(1,2,3節)
主の祈り
交読文 詩編第103編1-13節
(交読詩編111p)
讃美歌 156(1,4節)
聖書 マタイによる福音書
第17章24-27節(新34p)
祈 祷
讃美歌 483(1,2,3節)
説教『知るはあなたと私だけ』
祈 祷        三輪恵愛牧師
讃美歌 543(1,2,3節)
献金
頌栄 24
祝祷
報告
後奏

聖書 マタイによる福音書第17章24-27節

 一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」

説教『知るはあなたと私だけ』牧師 三輪恵愛

1.ペトロに迫る神殿への納税要求、「行いで信仰を表してもらおう」

 カファルナウムはガリラヤ湖のほとりにある、わりと大きな町です。ペトロたちがまだ漁師だった頃、彼らはこの町から舟にのって網を打ち、嵐で沖に出られない時は釣り糸を垂れて生活をしていたことでしょう。旅の途中、故郷に戻ってきた一行。ところが一休みをする間もなく、神殿税を集める人達がペトロのところにやってきて問いかけます。「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか(24)ペトロは即座に「納めます(25)と応えます。神殿税は、ローマ帝国への税とは異なり、礼拝所を保つためのもの。神さまを信じているならば、当然するべき行為だと見做されていました。ペトロの答えは「行いで信仰を表す」いわばユダヤ人の常識に基づくものです。

2.「行いに関わらず、あなたは救われた神の子」だと気づかせるイエスさまの問い

 ところが家に入ってきたペトロに、こんどはイエスさまが問いかけます。「シモン、あなたはどう思うか」シモンと親しく呼びながら、「あなたはどう考えて、わたしが神殿税を納める、と答えたのか。わたしたちは誰の子なのか」。後に続く譬え話が、ペトロに忘れていたことを思い出させます。地上の王は、自分たちの子供たちからは取り立てません。同じように、天の国の王である神さまは、神の子からは取り立てません。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ(26)天の国に住む神の子とされたものにとって、信仰が、行いと引き換えに認められることはありません。ペトロは、ここで気づいたはずです。自分もイエスさまと同じく神の子とされていることを。

3.神さまとわたししか知らないところで、神の子ならではの行いに出かけていく

 しかし、彼らをつまずかせないようにしよう(27節)」ペトロに釣りをさせたのは、神殿税を求める者たちに応えるためでした。「信仰があるならば、こう行うはずだ」とのまなざしに囚われると、信仰者は行いを束縛されてしまいます。けれどもこのとき釣れた魚の口にあった銀貨は、イエスさまだけではなくペトロの分も支払われるもの、すなわち主の贖いです。イエスさまが支払ってくださったことで、ペトロは自由な意思で、行いを求めるまなざしにも応えられました。「行いには関係なく救われる」たしかにそう信じています。けれども神の子とされたからには、その自由のもとに行いによって信仰を表す時があります。それはイエスさまに贖われたからこその自由な行いです。ペトロは釣竿をもって、神の自由のもとに求められる行いに出かけていきます。そこに主の業が顕れます。シモンと親しく呼ばれた、彼のみが知る出来事です


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