2020年12月13日主日礼拝
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前奏
招詞 イザヤ書第61章10-11節
讃美歌 4 (1,2,3,4)節)
主の祈り
交読文 詩編第126編(交読詩編143p)
讃美歌 166(1,4,5節)
聖書 ルカによる福音書
第2章1-7節(新102p)
祈 祷
讃美歌 242(1,2,3節)
説教『人知れぬ、神の産声』
祈 祷 三輪恵愛牧師
讃美歌 269
献金
頌栄 24
祝祷
報告
後奏
※使用される聖書と讃美歌
日本聖書協会『新共同訳』
日本基督教団出版『讃美歌21』
ルカによる福音書第2章1-7節
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
説教『人知れぬ、神の産声』三輪恵愛牧師
1.事実のみがじつに簡潔に記される、イエスさまのお生まれの瞬間
ルカによる福音書が伝えるイエスさまのお生まれの周辺は賑やかです。天使ガブリエルの降臨、男の子の出産を約束される老夫妻、受胎告知、エリサベトの祝福とマリアの賛歌、沈黙を解かれたザカリアの預言。そして羊飼いたちがやってきて、イエスさまを見つけた喜びに満たされて帰って行きます。天使の言葉、賛歌、預言、喜びと、特別な出来事に満ちています。それに比べイエスさまが生まれたその瞬間はじつに静かです。「月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」一人の赤ちゃんがそこで生まれたという、ただその事実のみが記されています。
2.その時代に生きる人として当然の生き方をする夫婦に、赤ちゃんが生まれる
なにか特別なことはないでしょうか。直前にはローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの名が記されます。「住民登録をせよ」との勅令は為政者の抑圧のようにも聞こえます。ただし住民登録は先祖代々の土地の所有を登録する手続きです。土地権が証明される恩恵もありました。若い夫婦の旅の苦労を偲び、不憫に感じてみましょうか。しかし「宿屋に泊まる場所がなかった」ということから、彼らが宿泊を次々と断られ馬小屋に行きついたというストーリーは聖書をもとにした創作です。語られるのは「出産する部屋(『宿屋』と訳される言葉の原意)がなかった」ということのみです。
3.「部屋」で産声をあげて生まれるイエスさま。神さまと人の強い絆のために。
イエスさまが生まれる瞬間そのものは、わたしたち人間が生まれる瞬間と変わりません。妻の身重を承知のうえで自分の生活のために旅をしていた、その途中でほかの赤ちゃんと同じように誕生を迎えた、それが聖書が語っているイエスさまの誕生の瞬間です。しかし生まれた瞬間が特別なものではなくわたしたちと同じ様子だったと知る時、むしろそこに示されるのは神さまからの強い連帯です。わたしたちと同じように人として生まれた方が、人の始まりから終わりまでを神さまと強く結び付けてくださる。そのためにこの人知れぬ産声は、見通しを立てられない人生から、神に信頼して生きる救いへ招いておられるのです。イエスさまは重荷を下ろすことができる「部屋(カタリュオー「解いておろす」から派生)」で産声をあげました。そこは「重荷を解いて降ろす」ための場所でもあります。旅路の途中、抱えてきたものを下ろせる場所です。神への信頼がわたしたちの奥底、人知れぬ処で小さな産声を上げています
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