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2020年12月9日祈祷会(歴代誌下第26章)

アドヴェントによく読まれる預言書と言えば、イザヤ書です。「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ(7:14)」「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。(9:4)」「エッサイの株からひとつの芽が萌えいでその根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。

(11:1)ウジヤ王の治世にイスラエルは大いに繁栄します。しかし彼自身は神さまの背きのために、死の病に倒れます。「ウジヤ王が死んだ年のことである。 わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた(6:1)」イザヤが預言者として召されたのは、このウジヤ王の時代でした。

1.ウジヤの繁栄のイスラエルに生まれたイザヤ

 ヨアシュ、アマツヤと同じように、ウジヤ王も敬虔な王として歩み出します。「神を畏れ敬うことを諭したゼカルヤが生きている間は、彼も主を求めるように努めた。彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた(5節)」ウジヤを諭したゼカルヤという人は、命を懸けてヨアシュを諫めた預言者ゼカルヤと同一人物か、あるいはゼカルヤの殉教の記念として名を受け継いだ人と言われます。「ウジヤの勢いはこの上もなく増大し、その名声はエジプトに近い地方にまで届いた(8節)」ウジヤが主を求める間は、彼の治世は大いに繁栄します。ペリシテ人を討ち、アンモン人は貢ぎ物を持って来ます。また国内にあっては農業を奨励します。「ウジヤが農耕を愛したからである(10節)」繁栄の手段として農業を奨励したのではなく農耕への愛がありました。自ら土を耕し、種を蒔いたのかもしれません。愛する国土を守るため、11節から15節は、彼が防衛のために力を尽くしたことが記されます。なんと機械製のカタパルト(矢や石の発射台)まで作ります。ウジヤは神を畏れ敬い、敵に立ち向かう勇気があり、農耕を愛し、国を守るために科学を発展させます。たいへん優秀な王です。「ウジヤは、神の驚くべき助けを得て勢力ある者となり、その名声は遠くにまで及んだ(15節)」神さまを求めて、自分の務めにしっかりと励む人に、神さまの驚くべき助けが与えられる確かな証のようにも思われます。ウジヤ王の導きのもと、イスラエルも大いに繁栄したことでしょう。さきほど触れた預言者イザヤも、このような繁栄の時代に生を受けたと考えられます。ウジヤの治世は、平和で、物に溢れ、諸国の尊敬を集め、科学が進歩していく時代のように思えます。

2.執り成しの務めは、神さまの召し出しによって

 しかしこれほどの繁栄を築いたウジヤ王は、重い皮膚病にかかって命を落とします。「重い皮膚病」は、律法にもある通り、神への背きの証とされました(レビ13:22)。病は額に広がります。隠すことも出来なかったでしょう。王は、国の指導者として人民の前に姿を現さなければなりません。「隔離された家」へと追いやられます。

 国を繁栄に導いた王に対し、厳しい仕打ちのようにも思えます。しかしその病には明白な理由がありました。「ところが、彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた。彼は主の神殿に入り、香の祭壇の上で香をたこうとした(16節)」王としての成功が、彼を思いあがらせます。

彼の思い上がりは行いに現れます。香の祭壇の上で香を焚こうとします。王のまえに勇気を出して立ちはだかった祭司アザルヤが諫めます。「ウジヤよ、あなたは主に香をたくことができない。香をたくのは聖別されたアロンの子孫、祭司である。この聖所から出て行きなさい。あなたは主に背いたのだ。主なる神からそのような栄誉を受ける資格はあなたにはない(18節)」律法によれば、香は礼拝を捧げる時に、特に罪の赦しを祈願する時に用いるよう定められていました。「アロンは年に一度、この香をたく祭壇の四隅の角に贖罪の献げ物の血を塗って、罪の贖いの儀式を行う。代々にわたって、年に一度、その所で罪の贖いの儀式を行う。この祭壇は主にとって神聖なものである(出エ30:10)」お香の良い香りを思い出してみてください。心を込めて焚き染めた香りが怒りを鎮めていきます。神さまは罪をお怒りになるお方です。そのお怒りを鎮めて、罪の贖いをお受けになるとき、良い香りを求められます。わたしたちにも覚えがある心持ちです。

ただし、その役目は神さまに選ばれた祭司だけが出来ることです。祭司は、その身を賭して神さまと罪びとの執り成しをするように神さま御自身に聖別されているからです。ウジヤはその点に鈍感になっていたようです。「なんでもできる優秀な王様」は、召されていない務めにまで手を出そうとしました。しかも彼は諫めた祭司たちに怒ります。皮肉にも、この忠告への怒りが、彼には執り成しの役目を果たす資格がないことを示しています。神さまの怒りを鎮めて、罪人の負い目を拭ってあげるのが祭司の務めです。忠告を聞いて怒る人には到底務まりません。怒りは神さまへの傲慢の証だからです。主の御召し出しがあってこそ、与えられた務めを果たせるのです。しかしウジヤはそのことを忘れてしまいました。額に病が現れ、彼は自分の思い上がりに気づきます。そして神殿から「急いで出て行った」のでした。

3.神さまは霊によって清め、ご計画に召し出す

 さて、このようなウジヤ王が死んだ年、イザヤは預言者に召されました。「わたしは主を待ち望む。

主は御顔をヤコブの家に隠しておられるがなおわたしは、彼に望みをかける(イザ8:17)」主を待ち望む預言を語り継いだ、偉大な預言者です。しかし彼ですら、神さまの御前に召し出されたとき、大いに恐れ、死を覚悟しました。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た(5節)」彼は、ウジヤ王の治世に栄華を誇るイスラエルの繁栄に生を受けました。しかし「汚れた唇の民の中に住む者」だと言います。不誠実な世に生きていることを自覚します。謙遜に、自分には主の前に立つ資格がない、と認めるのです。そんなイザヤだったからこそ、かもしれません。天使が彼の唇を清めます。「セラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。『見よ、これがあなたの唇に触れたのであなたの咎は取り去られ、罪は赦された』(6:6-7)」イザヤはこうして、神さまに召し出されて、預言者の役目についたのでした。主を待ち望む希望に満たされ、預言を語り継ぎます。神さま御自身が、その務めを与えてくださったからです。

神さまはご自分の御用に召し出す人を、汚れたままにはされません。聖なる火で浄めてくださるお方です。このときイザヤの唇に触れた炭火は、犠牲となった捧げものの骨です。犠牲となったものの炎が、汚れを取り除き、主の御用に召し出します。

「“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています(ローマ8:27-28)」この世の繁栄のためではなく、ご計画に召した者を神さまは聖霊によって清め、用いられます。ウジヤ王の頃は祭司にしか許されていなかった執り成しの務めです。今は、犠牲となったキリストの霊の炎に清められ、赦されたものが執り成しの務めに召し出されます。

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