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2021年2月21日主日礼拝

(説教音声)

 

 

黙祷
招詞 エレミヤ書第17章7-8節
讃美歌 83
主の祈り
聖書 ルカによる福音書第6章17-26節(新112,113p)
祈 祷
讃美歌 300(1,2節)
説教『涙を伝えた頬に』 三輪恵愛牧師
祈 祷
讃美歌 475(1,2節)
報告
頌栄 28
祝祷

 

※使用される聖書と讃美歌
 日本聖書協会『新共同訳』
 日本基督教団出版『讃美歌21』

 

ルカによる福音書第6章17-26節
20さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
21今飢えている人々は、幸いである、
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。
22人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。 23その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
24しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
あなたがたはもう慰めを受けている。
25今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
あなたがたは飢えるようになる。
今笑っている人々は、不幸である、
あなたがたは悲しみ泣くようになる。
26すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」

説教『涙を伝えた頬に』三輪恵愛牧師

1.平らなところに立つイエスさま、弟子たちを繰り返し、祝福する

 今日の箇所はマタイによる福音書第5章から第7章の「山上の説教」とよく比べられます。ここでは「平らな所にお立ちになった(17)とあるので「平野の説教」とも呼ばれます。似ているところが多く、出だしも、マタイの「八つの祝福(マタイ5:3-10)」に似ています。イエスさまは「このような人々は幸いである」と繰り返し、祝福されています。そうして弟子たちに、そのような者であって欲しいと言われるのです。

2.「幸いだ」と言われる前者、「不幸だ」と言われる後者、わたしはどちら?

 聞いていきますと、前半に記されていることと後半に記されていることが、相反していることに気づきます。「貧しい、飢え、泣く」人々は「神の国を得、満たされ、笑う」ので幸いだと言われます。そして今「富み、満腹し、笑っている」ものは、その逆となるから不幸だというのです。前者と後者に線が引かれているように思います。そして、わたしたちは戸惑います。「いったい、わたしはどちらにいるのだろう?」貧しいだろうか、飢えているだろうか、泣いているだろうか。そういう時もある。しかし、富んで、満腹し、笑って過ごしているのではないか。人生、どちらの境遇になることもあるなかで、前者か後者か自分の立つ場所を見出せません。「幸いだ」という祝福にも戸惑いを感じます。笑顔で、喜び躍れないのです。

3.「天の大きな報い」を希望に起きて生きるとき、涙を伝えた頬に笑みが浮かぶ

この時、平らなところで聞いた弟子たちもそうだったはずです。そして今日まで、様々な境遇の人々に向けて語られてきました。イエスさまは「どちらなのかわからない」曖昧なことを語っているのでしょうか。前者と後者の中心、23節に独立した言葉が語られています。「その日には、喜び躍りなさい。天には大きな報いがある」。「あなたは『天の大きな報い』を希望に、今を生きていますか?」これが問いの中心なのです。「不幸だ」というのは呪いではありません。実際、地上の物に慰められ、満たされ、笑っている人は、それらが失われる時に悲しみ泣くのでしょう。「天の大きな報い」、20節で「神の国」とも言われるように、正義、平和、愛の源である神と共にあることです。この報いを信じるところに、地上の物には囚われない解放が与えられます。弟子たちに目を向け「あなたがたは、もうすでに神と共に生きている。幸いだ!」と祝福されるイエスさま。どのような境遇にあっても、神と共にあり続ける希望を置く時、涙を伝えた頬に笑みを浮かべ、躍れるほどの喜びを主は与えてくださるのです。

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