2021年3月28日主日礼拝
前奏
招詞 ゼカリヤ書第9章9節
讃美歌 4(1,2,3節)
主の祈り
交読文 詩編第51編1-19節
(交読詩編55p)
讃美歌 58
聖書 ルカによる福音書
第23章44-49節(新159p)
祈 祷
讃美歌 311(1,2,3節)
説教『神の義を賛美する』
祈 祷 三輪恵愛牧師
讃美歌 311(4,5,6節)
献金
頌栄 24
祝祷
報告
後奏
※使用される聖書と讃美歌
日本聖書協会『新共同訳』
日本基督教団出版『讃美歌21』
ルカによる福音書第23章44-49節
既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。
説教『神の義を賛美する』三輪恵愛牧師 1.十字架のイエスさまの死をみて、ただ一人、百人隊長は神を賛美する 棕櫚の主日を迎え、受難週が始まります。イエスさまのエルサレム入城を記念する日ですが、今年は三週にわたりイエスさまの十字架を見てきました。すべてが誤っているようにしか思えないこの十字架の出来事に、神さまはそれでも御自分の正しさ、神の義を現わしておられるのでしょうか。イエスさまが息を引き取られる姿を見て、群衆は胸を打ちながら十字架に背を向けて帰り、ガリラヤから一緒に来た弟子たちは遠くから見ているだけです。しかしただ一人十字架のもとに立ち、このお方の死を見て神を賛美する人がいます。それが百人隊長、ローマ帝国の下士官の一人です。 2.十字架のうえで最後の言葉を語るイエスさまの姿に、変えられていく人。 「本当にこの人は、この人は正しい人(義)だった(47節)」と神を賛美する百人隊長は、どこかでイエスさまと会い、すでに信仰を持っていたのでしょうか?ルカ文書(福音書と使徒言行録)には何人かの百人隊長が現れます。しかし彼らを同一人物とみなすのは無理があります。では彼にとって、死は珍しかったのでしょうか。いえ、むしろ戦場や処刑場で人よりもたくさんの死を見てきた人です。しかし彼にとってイエスさまの死の姿は、神を感じずにはいられない、この人こそ神のまえにまったく正しい、そう気づかせます。そして、彼を神さまを賛美するほどの人に変えていきます。 3.「わたしの霊を御手に委ねます」との祈りを、わたしたちの祈りにしてくださる 彼を変えたのはなんだったのでしょうか。「この出来事を見て(47節)」それはイエスさまが十字架で「父よ、わたしの霊をあなたの御手に委ねます(46節)」と叫ばれるお姿です。これは詩編第31編6節の言葉です。その詩編の詩人は苦しい境遇に陥っています。しかし自分の正しさではなく、神が正しいからこそわたしはか必ず救われる、と信じてほめ讃える詩編です。聖書は人間の成り立ちを肉体だけでなく、霊によると語ります。肉体は十字架のうえで損なわれ、死を迎えようとするイエスさまが「わたしの霊を御手に委ねます」と叫びます。死を前にして自分の全存在を委ねる方がいる、それが神だと言われるのです。このとき全地は闇に包まれ、神殿の垂れ幕の真ん中が裂けました。それは命が闇に包まれるときに、神は人との隔たりをみずから裂いて破り、このキリストの死の姿に御自分の義を現わされたということです。死を冷徹に受け止めていた百人隊長が、十字架のキリストの死を見て、神を賛美する人に変えられていきます。そこに神が御自分の正しさによって人を救われる真実が示されています。 |
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