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2021年4月11日主日礼拝

 

前奏
招詞 詩編第118編19-25節
讃美歌 208
主の祈り
交読文 詩編第130編
           (交読詩編145p)
讃美歌 132(1,3,5節)
聖書 使徒言行録第10章39-43節(新234p)
祈 祷
讃美歌 316
説教『復活の証人として』
  祈 祷 三輪恵愛牧師
讃美歌 405
献金 
頌栄 27
祝祷
報告
後奏

※使用される聖書と讃美歌
 日本聖書協会『新共同訳』
 日本基督教団出版『讃美歌21』

 

 

使徒言行録第10章39-43節

39わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、 40神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。 41しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。 42そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。 43また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」

 

説教復活の証人として』三輪恵愛牧師

 

1.復活節、キリストの復活によって新しくされた人を見つめ、復活の意義を深める

 イースターを過ぎ復活節の季節に入りました。しばらく復活についてご一緒にみ言葉に聞いていきます。聖書が語る復活はただ「人の蘇生」という単純な事実を語っているわけではありません。この一言から豊かな真実を伝えています。それはキリストの復活の出来事に直面した人が変わっていく様子にも現れています。今日のみ言葉が伝えるところでは、それはペトロです。復活の朝、立ち上がったペトロは大いに変わっていきました。そして今日の箇所でも、さらに新しくなっていきます。

2.どこか憎めない親しみやすい元漁師から、イエスの名に仕える使徒ペトロへ             

 ペトロは、イエスさまと一緒にいたころは失敗や失言の多い、しかしどこか憎めない弟子でした。十字架の時は三度も「イエスを知らない」と言って裏切りました。ところが復活のキリストに出会い、人が変わったように目覚ましい働きをしていきます。雄弁な説教者となり(使徒2章)、人を立ち上がらせ(同3章)、ユダヤ教の権力者を相手に堂々と弁明し(同5章)、アイネア、タビタという女性の信仰者の病を癒します(同9章)。これらすべてのことを「イエスの名によって」行いました。そこには親しみやすい元漁師の弟子ペトロではなく、ひたすら復活のキリストに仕える使徒の姿しかありません。神はキリストの復活という真実をもって、人を新しく「復活」させるのです。

3.自分がキリストの復活によって神に受け入れられたからこそ、人を受け入れる

 そんな彼に最後の壁が残っていました。それが百人隊長コルネリウスに洗礼を施すという出来事でした。ペトロにとって彼は異邦人、しかも相手はイエスさまを十字架に追いやって処刑を執行し、戦争では人を殺めることもあるローマ兵の将校です。面と向かえば「どうしてこの人が救われるのか」と受け入れられなかったかもしれません。しかし神はペトロに前もって語ります。「神が清めたものを清くないと言ってはならない(使徒10:15)」そう言われ、コルネリウスのもとに遣わします。そこで語った説教が今日の箇所でした。彼は復活のキリストの証人として「イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています(43節)」と語り切り、コルネリウスへ洗礼を授けます。それはペトロ自身の回心でもありました。キリストの復活によって立ち上がったペトロは、人を立ち上がらせ、人を受け入れる人に変えられます。自分がキリストによって神に受け入れられたように、人を受け入れていくのです。これがこの朝示される、復活の証人としての姿です。 

 

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