説教音声のみ
礼拝動画
黙祷
招詞 イザヤ書第35章1-2節
讃美歌 7(1,3,5)
主の祈り
聖書 ペテロの手紙一
第1章3-9節(新428p)
祈 祷
讃美歌 321
説教『試練が証明する信仰』
三輪恵愛牧師
祈 祷
讃美歌 441(1,2,4節)
報告
頌栄 25
祝祷
※使用される聖書と讃美歌
日本聖書協会『新共同訳』
日本基督教団出版『讃美歌21』
ペテロの手紙一第1章3-9節
3わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、 4また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。 5あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。 6それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、 7あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。 8あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。 9それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。
説教『試練が証明する信仰』三輪恵愛牧師
1.生き生きとした希望を与えてくださる神さまをほめたたえ、ペトロは語る 復活節の歩みを、キリストの復活を証しするみ言葉を聞きながら過ごしています。今日のみ言葉、ペトロの手紙一は十二弟子の筆頭ペトロが、仲間のシルワノに口述筆記をさせたものと言われています。そして宛先はペトロとは異なる民族、いわゆる「異邦人」からクリスチャンになった人たちが多く集う教会でした。ユダヤ人が古くから主と呼んでいた神さまを信じ、拝みはじめた人たちの集う新しい教会でもあります。その人たちに向けて、ペトロはまず「イエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え(3節)」てくださる神さまをほめたたえ、語り始めます。
2.復活のキリストの真実に喜んでも、試練に悩まなければならない信仰の現実 新しい教会であっても真っ先に語るのは「キリストの復活」。復活の真実が信仰の基本とされている証しと言えます。そしてペトロはこの教会の様子をこう記します。「あなたがたは心から喜んでいます・・・言い尽くせない素晴らしい喜びに満たされています(6,8節)」キリストの復活を信じ、見えずともキリストを愛し、信じる(8節)教会が大いに喜びに包まれていたことが伝わってきます。しかし喜びと同時に「試練に悩まなければならない(6節)」とも言います。ペトロは信仰の現実を隠しません。新しい生き方を始め、終わりの時の復活を信じても、試練に悩まされることも起きるのです。
3.信仰は、始まり、今、そして終わりに至るまで、試練を通して精錬されていく 注意深く聞く人は、5節から「神様が信仰を守ってくださるのでは?」と思うでしょう。そこでペトロは試練の意味を明快に伝えます。「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明される(7節)」と。試練は「魂の救い」への焦点を、時にずらし、戸惑わせ、異なるものにすり替えようとします。そこで試行錯誤も起きるでしょう。しかし神さまは試練によって「魂の救い」への確信をいっそう深めようとしておられます。それは不純物を取り除く金の精錬のようであり、復活の信仰を朽ちることのない、純粋なものにしていきます。ペトロは5節では「救い」は終わりの時に受け取るものと言いますが、9節では「今、受けている」とも言います。つまり、復活のキリストを信じることで得られる魂の救いは、神さまから今も受け取り続けているものだということなのです。ですからペトロは「生き生きとした希望」という言い方をします。試練のたびに信仰は揺れ動きます。しかし試練もまた神の力による守りです。試練を用いてでも、神様はわたしたちに「魂の救い」を与えてくださるお方なのです。
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