2021年5月16日主日礼拝
説教音声
礼拝動画
黙祷
招詞 詩編第47編6-10節
讃美歌 83
主の祈り
聖書 エフェソの信徒への手紙
第2章1-10節(新353p)
祈 祷
讃美歌 337(1,5節)
説教『主の恵み、限りなし』
三輪恵愛牧師
祈 祷
讃美歌 435(1,5節)
報告
頌栄 27
祝祷
※使用される聖書と讃美歌
日本聖書協会『新共同訳』
日本基督教団出版『讃美歌21』
聖書 エフェソの信徒への手紙第2章1-10節
1さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。 2この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。 3わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。 4しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、 5罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― 6キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。 7こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。 8事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。 9行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。 10なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
説教『主の恵み、限りなし』三輪恵愛牧師
復活祭から聖霊降臨祭に向かう歩みのなかで、「キリストの昇天」からまず考えられるのは「高い所からの力に覆われる(ルカ24:49)」ことをイエスさまが約束されたということです。その通り、時が来て聖霊が降り教会が生まれます。ペンテコステではそのことをお祝いします。さて、その次に考えることは「復活の御身体のままでキリストは天の昇られた」というところです。「キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました(6節)」はまさにその出来事を示しています。このみ言葉の周辺に、キリストの昇天のもう一つの意味が語られています。 2.キリストと共に死に、復活し、天の王座に着く、これほどの強い連帯を示す神 ところで「エフェソの信徒へ」とは題されている書簡ですが、近隣の複数の教会にも宛てられた形跡があるので、当時の諸教会で共有されていた信仰を聞き取ることができます。「罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、―あなたがたの救われたのは恵みによるのです―キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました(5,6節)」これは《死⇒復活⇒新生⇒昇天》と歩まれたイエス・キリストが示す、全存在を懸けた連帯の恵みを覚える信仰の告白です。この恵みを通して「この上なく愛してくださる神(4節)」に人は救われると、この書簡は告げています。 3.昇天の主イエスは「わたし」という全存在のために、天の王座に着いておられる しかしこの手紙を受け取った人のなかには、キリストに救われる前の業を思い起こし「本当に天の座につけるのだろうか」と疑う人がいたのではないでしょうか。1-3節ではそのような苦しみに寄り添いつつ、しかしそれは「キリストの救いに与るより、以前のこと(1,3節)」だと語っています。そして以前の歩みも、これからの良い業の歩みもすべてを含めて「神は前もって・・・キリスト・イエスにおいてわたしたちを造られた(10節)」と語ります。いわばここではキリストが人間存在の「原型」だと言われているのです。だからこそ、キリストが身体のまま天に昇り天の座についてくださったことで、霊肉共に(重要!) 全存在のままで天の座に着くことが約束されているのです。それは先に天に昇られたイエス様が「わたしたちが座るべき天の座をリザーブ(予約)していてくださる」と言っても良いでしょう!そしてキリストに顕れた限りない神の恵みを受けながら、神の良い業に用いられていくのです。それは救われる以前の歩みとはまったく異なります。天の座に着くことが約束された上での、新しく確かな歩みなのです。
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