2021年5月30日主日礼拝
(説教音声のみ)
(礼拝全体動画)
黙祷
招詞 ヨエル書第3章1節
讃美歌 11(1,3節)
主の祈り
聖書 使徒言行録
第2章14-22b節(新215p)
祈 祷
讃美歌 342(1,2節)
説教『主なる神の名を呼ぼう』
三輪恵愛牧師
祈 祷
讃美歌 451(1,2,3節)
報告
頌栄 29
祝祷
※使用される聖書と讃美歌
日本聖書協会『新共同訳』
日本基督教団出版『讃美歌21』
使徒言行録第2章14-22b節
説教『主なる神の名を呼ぼう』三輪恵愛牧師
聖霊降臨の出来事を受けて、ほかの弟子たちと共に立ち上がったペトロは「知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください(14節)」と呼びかけます。しっかりと伝えるべき人を相手取って、言葉を語っていきます。このとき集まっていた人々は「天下のあらゆる国から帰ってきた、信心深いユダヤ人(5節)」でした。その「あらゆる国」とは、ユダヤ人が戦乱や迫害、強国の支配によって移されていった国々です。旧約聖書の歴史によればユダヤ人は、「終わりの時(17節)」とも言える「血と火、立ち込める煙(19節)」に置かれる苦難を経験してきました。しかしこの時、集まってきた人たちは、そのような時を経て、なお神を信頼し、必ず救いの約束は果たされることを信じてエルサレムに集まっていた人々だったのです。 2.確かな存在であるお方、神の名を「主と呼び求める」ほどに親しい交わりへ その彼らに、ペトロを通して預言者ヨエルの言葉が語られます。聖霊に満ちた人が皆、預言し(17,18節)、「終わりの時」とも思えるような苦難が訪れます(19,20節)が「主の名を呼び求める者は皆、救われる(21節)」と約束されます。聖書は神さまが名を持っておられると伝えます。モーセに、神さまは「わたしは“ある”というものだ」と名乗られました(出エジプト3:14)。確かな存在を持たれるのが神さまなのです。そして「呼び求める」のですから、そのお方の確かな存在を求めます。名を呼ぶほどに神の確かな存在を求め、交わる関係に入っていく、それが救いだとこの預言は語るのです。 3.イエスというお方の名によって主なる神と交わり、救いに入れられる恵み ペトロは、その呼び求める「名」こそが「ナザレのイエス(22節)」と語り、その証しを語り続けていきます。このとき集まっていた信心深いユダヤ人とわたしたちの接点は「主の名を呼び求める」、この一点において同じ恵みの場に立ちます。それは「名を呼び求めるほどに神との親しい交わりに入っていく」という救いの恵みです。「終わりの時」と思えるようなときにこそ「この確かな存在を持たれる神こそ、わたしを救ってくださるお方」と信じ、名を呼び求めるのです。わたしたちはイエスという主の名を知り、キリストという救い主の名を知り、またこの方のゆえに、神を「天の父よ」と呼ぶことも知っています。この預言の言葉に導かれながら、わたしたちは改めて「主の名を呼ぶ」ことが出来る恵みを知らされます。「終わりの時」にあっても神という確かなお方の名を呼ぶほど親しく交わる時、すでに救いは始まっているのです。 |
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