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2021年6月27日主日礼拝

(説教音声)

(礼拝動画)

黙祷
招詞 詩編第43編3-5節
讃美歌 17(1,2)
主の祈り
聖書 ルカによる福音書
第7章11-17節(新115p)
祈 祷
讃美歌 358(1,2)
説教『命に導かれる群れ』 
三輪恵愛牧師
祈 祷
讃美歌 433(4,5,6)
報告
頌栄 27
祝祷

※使用される聖書と讃美歌
 日本聖書協会『新共同訳』
 日本基督教団出版『讃美歌21』

 

ルカによる福音書第7章11-17節

11それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。 12イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。 13主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。 14そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。 15すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。 16人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。 17イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。


説教『命に導かれる群れ』三輪恵愛牧師


1.深く死を悲しむ母親を見て、憐れみ「もう泣かなくともよい」と語るイエスさま

 イエスさまはナインという町で一つの葬列に出会われ、そこに近づいていかれます。悲しむ人がいたからです。一人息子を亡くした母親は「やもめ」とあるように伴侶にも先立たれていました。愛する者を失った悲しみとともに、誰も頼れなくなった恐れがあります。死が大きく迫り、涙を止められないのです。イエスさまはその母親にまなざしを向けられます。そして、まず語られます。「もう泣かなくてもよい(13)と。

2.この慰めの言葉を語れたらいいのに。しかしイエスさまのようにはいかない・・・

イエスさまはすぐに「若者よ、あなたに言う。起きなさい(14)と言われます。その通りに若者は起き上がります。愛する息子をその手に抱きしめ、母親の涙はたしかに止まったことでしょう。「もう泣かなくてもよい」との慰めの言葉は、その通りのことが起こされるからこそ語れるものと感じます。わたしたちも確かな慰めの言葉が語れたら、どれほど良いでしょう。悲しみに深く傷ついている人を前に「もう泣かなくてもいいんだよ」。そう言って涙を止めてあげたい。しかしイエスさまのように奇跡を起こすことはできません。「なぜ、そんな言葉をあなたは語れるのか」、そう問われてしまったら・・・。町の人のように言葉なく付き添うだけで精一杯の時があるのです。

3.死に手を触れて、新しい命を与え、言葉を語るものとしていく神の御業

聖書は母子の喜びではなく、それを目の当たりにした町の人、群衆、そして弟子たちが、神さまを誉め讃える姿へとまなざしを向けています。死を先頭にしていた葬列です。できる限り死を遠くへ。しかしイエスさまは死に手を触れて「そこはあなたがたの向かうところではない」と止めるのです。そして命が深い悲しみのもとに返り、沈黙は解かれ、神の賛美の声が挙がります。「神はその民を心にかけてくださった(16)」。数々の蘇生の奇跡を聖書は伝えます。しかし再び誰もが眠りにつきました。神さまがお望みなったからです。イエスさまは死を悲しむ姿を見て、心を痛めて憐れみ、慰めの言葉を語り、ご自分の愛する民を大切にする神の姿を示されます。「もう泣かなくてもよい」との言葉は、人には保証はできませんが、このイエスというお方のゆえに語ることが出来るのです。神もまたご自分の一人息子を死から起き上がらせました。再びそこからみ言葉が語られ、その命を群れにお返しになります。沈黙していた群れはこのお方の命に導かれ、神の慰めを語るように変えられていきます。イエスさまの命が触れる、「もう泣かなくともよい」との慰めを語ることができるのです。

 

 

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