2021年6月6日主日礼拝
説教音声
(礼拝全体動画)
黙祷
招詞 エゼキエル書第36章26-28節
讃美歌 12(1,2)
主の祈り
聖書 使徒言行録
第2章22-31節(新215p)
祈 祷
讃美歌 343(1,4節)
説教『さあ、命に至る道へ』
三輪恵愛牧師
祈 祷
讃美歌 436(1,4節)
報告
頌栄 24
祝祷
※使用される聖書と讃美歌
日本聖書協会『新共同訳』
日本基督教団出版『讃美歌21』
使徒言行録第2章22-31節
説教『さあ、命に至る道へ』三輪恵愛牧師
ペンテコステ以来、使徒言行録第2章を読み進めています。ペトロは預言者ヨエルの言葉を引用しながら、今、目の前で起きていることは神さまのみ言葉の通りのだと伝えます(16-21節)。そして「主の名を呼び求める者は皆、救われる(21節)」の「主の名」が「ナザレのイエス」だと解き明します(22節)。さて教会は「神の実在性」を問う場ではなく「神の救済の信憑性」を問う場でもありません。ただ「イエスがキリスト(救い主)である」という一点を宣べ伝えるために歩んできました。そのことは、このペトロの説教にまで遡ります。今日も変わらぬ教会の姿がここにも示されています。 2.救い主でありながら十字架に掛けられた・・・しかし、それは神の救いのご計画! このときペトロの前に集まっていた人々は「ナザレのイエス」について既に知っていた人々のようです(22節)。その人々にペトロは「あなたがたが十字架につけて殺した(23節)」と直言します。彼らはエルサレムに住んでいましたから、イエスさまがガリラヤ地方でなさったこと、また十字架の死と復活について多少のことは聞いていたでしょう。ペトロの言葉は「待ち望んでいた救い主とは思わず、そのイエスをあなたがたが殺してしまった」と顧みさせられるものです。ところがペトロは人々を非難せず「神は計画に従ってイエスを死から復活させられた(23節)」と神の業を証言します。この点においても「神が遣わされた救い主はイエスである」という中心に立ち続けます。 3.「神よ、あなたは命に至る道を示してくださいます!」と、復活の主によって歌う ペトロはキリストの復活が神の計画だったことを証しするために、詩編第16編を引用します。さらに「あなたは、わたしの魂を陰府に捨ておかす、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれない(27節)」に焦点を定め、「ダビデは葬られ墓もある。だからここでの『わたし』はダビデ自身のことではなく、キリストの復活を預言したものだ」と解き明かします。そしてキリストが復活したからこそ、このお方を主と信じるものを神は救われる、と伝えるのです。「わたしは決して動揺しない。わたしの心は楽しみ、舌は喜びたたえる(25,26節)」そのような生涯を望みます。しかし現実には動揺することもあり、心は楽しまず喜びの言葉も口にあがらない時があります。そんな日々にこそ、ダビデもペトロも歌ったこの詩編がわたしたちのものとなります。彼らも動揺するなかにあって、救い主の復活が示す「命に至る道(28節)」を歩んでいきました。神さまは、こうして教会を通して「復活した救い主イエス」を宣べ伝え、わたしたちに命に至る道を示されるのです。 |
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