2021年7月25日伝道開始礼拝
(礼拝動画)
(説教音声)
前奏
招詞 イザヤ書第43章1節
讃美歌 83
主の祈り
交読文 詩編第85編(交読詩編93p)
讃美歌 57(1,2節)
聖書 ルカによる福音書
第8章22-25節(新119p)
祈 祷
讃美歌 395(1,2,3節)
説教『望みの港に導かれ』
祈 祷 三輪恵愛牧師
讃美歌 412(2,3,4節)
献金
頌栄 26
祝祷
報告
後奏
※使用される聖書と讃美歌
日本聖書協会『新共同訳』
日本基督教団出版『讃美歌21』
ルカによる福音書第8章22-25節
22ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。 23渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。 24弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。 25イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。
説教『望みの港に導かれ』三輪恵愛牧師 1.嵐にも従う弟子たちに『あなたがたの信仰はどこにあるのか』と問うイエスさま 1891年7月20日「岐阜講義所」の名称で始まった岐阜教会の伝道が130周年を迎えることとなりました。教会は古来より「舟」にたとえられてきました(英語「会衆席:Nave」はラテン語「舟:Navis」に由来)。今日のみ言葉は「湖の向こう岸に渡ろう」とイエスさまに声をかけられた弟子たちが粛々と乗り込み、沖合に漕ぎ出します。岐阜講義所も伝道を導かれるイエスさまの御声に船出しました。これまで多くの弟子たちが乗り込み、航海を続けてきました。多くの嵐に見舞われながら130周年を迎えています。試練を乗り越えながら信仰を継承しています。ところが、同じように嵐を乗り越えた弟子たちにイエスさまはこう言われるのです。「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と。 2.「助けてください、おぼれそうです」と主に救いを叫んだにもかかわらず・・・ 舟を漕ぎ続ける弟子たちに「どこに信仰があるのか、わかっているのか?」と言われるほどの厳しい問いかけです。彼らの姿に信仰は現れていなかったのでしょうか。イエスさまの「向こう岸に渡ろう」という声に何も言わずに従う姿には、このお方への信頼が伺えます。また彼らの多くはガリラヤ湖の漁師でしたから、腕にも覚えがあったでしょう。嵐が吹くまでは、イエスさまのみ言葉への信頼と自己の力への自信により、順調に漕ぎ続けたはずです。しかしそこに嵐が襲ってきました。弟子たちは為す術もなく、眠っておられるイエスさまに助けを求めます。「助けてください、おぼれそうです」と。 3.嵐を起こす主「この方はいったいどなただろう?」恐れから救い主の平安へ! イエスさまの名を呼び、助けを求める弟子たちの姿は福音と異なるものではありません。主の名を呼ぶとき、人は救われるのです。それなのに「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と問われるイエスさま。眠っておられた主を自分たちのために起こそうとする弟子たちへ「そこに信仰があるのか?」と言われるのです。弟子たちは嵐を恐れるがあまり、平安に眠っておられる主を起こしました。このとき、イエスさまへの恐れではなく嵐への恐れが優りました。このお方がどなたなのかを弟子たちは忘れました。しかし眠るほどに静かな平安の姿で、嵐のなかでも共にいてくださる救い主。「主は仰せによって嵐を起こし、波を高くされた(詩編107:25)」。わたしたちに信仰を与えるためならば、主は恐れをも用います。恐れのなかにこそ、真実の信仰が生まれることを神さまはご存じだからです。「いったい、この方はどなたなのだろう(25節)」このお方は十字架の主です。恐れへの叫びすら共に叫んでくださるお方です。その方と共にいる平安が恐れる時の慰めです。イエス・キリストのうちにこそ、わたしたちの信仰があるのです。 |
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