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2021年8月8日主日礼拝

(礼拝全体)

(説教音声)

 

前奏
招詞 詩編第107編6-8節
讃美歌 11(1,3節)
主の祈り
交読文 詩編第52編(交読詩編57p)
讃美歌 87
聖書 ルカによる福音書     
第9章18-27節(新122p)
祈 祷
讃美歌 356(1,3節)
説教『失うところで得る命』
祈 祷        三輪恵愛牧師
讃美歌 561(1,2,3節)
献金
頌栄 28
祝祷
報告
後奏

※使用される聖書と讃美歌
 日本聖書協会『新共同訳』
 日本基督教団出版『讃美歌21』

 

ルカによる福音書第9章18-27節

18イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 19弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」 20イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」21イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、 22次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」 23それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 24自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。 25人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。 26わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。 27確かに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる。」

説教『失うところで得る命』三輪恵愛牧師

 1.「命を失う」という言葉は殉教の時代背景があるというけれども、果たして今?

 ルカ福音書の成立年代は紀元80~90年と言われます。これは皇帝ドミティアヌスの治世に重なります。彼はキリスト教徒を迫害しました。だから24節の言葉は殉教の時代を背景にしていると推測する人もいます。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」というのです。しかし短絡的にも感じます。わたしたちの命の重みは今も昔も同じです。神さまの御前にそのことを確かめて生きていきたいのに・・・。本当にこの言葉は殉教を示しているのでしょうか?

2.「日々」「全世界よりも大切な命」の重みを背負いながら、前向きに生きる生き方

 23節では「命を失う」生き方に呼応するように「自分を捨てて、日々、自分の十字架を背負う」ようにとも語られます。「十字架」も殉教を思わせます。しかし「日々」とあります。昨日、今日、そして明日と生きて背負う自分の十字架があるのです。さらに25節では、全世界よりも命のほうが大切だと語っておられます。命を軽んじるようなことは語られていません。むしろわたしたちの命は、神さまによってその重みを認められている、その重みを日々、背負いながら生きる前向きな生き方を示されているようです。

3.命の重みを神のまなざしに委ねるキリストが、生き方の土台となる。それが教会!

 すると「命を失う者は、それを救う(24節)」とは、命の重みを神さまに委ねて生きる日々を送ることで、その命の重みに気付いてく生き方が示されていることとなります。これを「わたしのために」するようにと言われます。再び戸惑いを感じます。「イエスさまにどれだけ尽くせるかによって、命の重みは変わっていくのだろうか」。この「わたしのために」を「イエスさまに命をささげる」というように聞き取れば、そうなるかもしれません。しかし、この「ために(エネケン)」は動機や根拠をあらわす言葉です。「イエスさまがおられるからこそ、命の重みを神さまに委ねて生きていける!」と理解されるべきところなのです。さきにペトロが「あなたは神のメシアです」と信仰を告白していました。それを聞き、イエスさまは受難を予告されました(22節)。ご自身が苦難のキリストであることを弟子たちに明らかにします。その生き方とは神さまのまなざしにはすべての命が等しく値高く、貴く、愛されるべきものであることを貫くものでした。イエスさまがまず、すべての命の重みを神のまなざしで捉える生き方を開いてくださったのです。この苦難のキリストを土台にして生きるとき、新しい命が得られることをイエスさまは約束します。それは神の国を先取りする教会において起きるのです!

 

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