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2021年9月19日主日礼拝

(礼拝動画)

 

(説教音声)

 

ルカによる福音書第10章38-42節

38一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。 39彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。 40マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 41主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 42しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

 

説教最良なる主のもてなし』 牧師三輪恵愛

.もてなしのために一所懸命になって仕えるマルタはイエスさまに詰め寄る三輪恵愛牧師

マルタとマリアの姉妹の好対照な姿を伝える有名な箇所を聴きました。「働き者のマルタさん、静かに聞き入るマリアさん」と語られることもあります。「あなたはマルタとマリア、どちらのタイプ?」と座を賑わせることもあるでしょう。しかし教会の奉仕ではマルタのように「せわしく立ち働」かけなければならないこともあります。その挙句に「わたしだけがなぜ?」という思いが募ることもあります。マルタが詰め寄ったのは、あろうことかお客様としてお迎えしたイエスさまでした。「何ともお思いになりませんか(40節)」とイエスさまに対して腹立ちを隠せません。「どちらのタイプ?」といった冗談では済まなくなります。教会の主にある兄弟姉妹に面と向かって言うこともできず、神さまへの不信を募らせる感情が湧き出てくることもあるのです。

2.マルタに語る言葉「取り上げてはならない」とは、何を指すのか?

イエスさまは「マルタ、マルタ」と呼びかけます。名を二度、親しく呼ぶところに、イエスさまがマルタの苛立ちを宥めているような憐れみも感じられます。しかし続く言葉はこうです。「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」。「取り上げてはならない」と言われていることから、マリアはイエスさまの「話に聞き入る」ことで何かを得ようとしている、ということになります。それでは、マリアがこのとき得ようとしていたものは、いったい何なのでしょうか。

3.主の言葉に聞き入るとき、み言葉はその人を立ち上げるために働いている

マリアが聞き入っていたのは「その話」でした。直訳すると「彼(イエス)の一つの言葉」となります。マリアが聞き入っていたのは、なにか楽しい、興味深い話とか、知識欲を満たすものではありません。それは「一つの目的を持つ言葉」です。その目的とは、イエス・キリストが救い主であることを示すもののはずです。マリアはイエスさまのみ言葉を深く聞き入るうちに、自分には救われなければならない罪があり、愛に乏しいことを思い知らされた。だからそこから立ち上がれなくなっていた、とも考えられるでしょう。すなわちそれは、イエスさまがマリアにみ言葉をもって仕えていた、ということになります。つまりイエスさまは「マリアに与えているみ言葉の働きを取り上げてはならない」と言われているのです。み言葉は、その人のうちにあって働きます。霊のもてなしを与えて、立ち上がらせます。座り込むマリアを立ち上げるために仕えておられる主のみ言葉が、わたしたちにとっても最良のもてなしを与えてくださるものなのです。

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