« 2021年10月10日主日礼拝 | トップページ | 2021年10月24日特別伝道礼拝 »

2021年10月17日主日礼拝

(礼拝動画)

(説教音声)

 

 

ルカによる福音書第11章29-36節

29群衆の数がますます増えてきたので、イエスは話し始められた。「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。 30つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。 31南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。 32また、ニネベの人々は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。」33「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。 34あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。 35だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。 36あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。」

 

説教 『光を灯された瞳』 三輪恵愛牧師

1.よこしまな時代に生きても、真実の光をもとめて「ますます増える」群衆

イエスさまのもとに集う「群衆の数がますます増えて」きました。この群衆がどのような人々なのかを示すため、33節で「入って来る人に光が見えるように」と言われます。これはルカ8章16節で語られていました。ご自分のことを「ともし火の光」だと語られたところです。群衆はイエスさまに照らされるための光を求めたのです。「よこしまな時代に生きている」と言われます。どんな時代に生きようとも真実の光を求める群衆。彼らは「よこしまな時代」にあってキリストの光に照らされようと願ったのです。

2.南の国の女王より、ニネベの人々より、光を求めて集まる群衆は優れている!

イエスさまは群衆の姿を、さらにこのように言われます。「南の国の女王のようであり、ニネベの人々のようである」と。南の国の女王(列王上10章)とニネベの人々(ヨナ書)も神の言葉の知恵と説教を求めた人たちです。その時代に生きて、天から‟しるし”を求めた人たちです。「地の果て」、それは光が十分に届かないところです。「悔い改めた」、彼らは天よりの光に身も心も向けなおしました。群衆の姿をそこに重ねて、彼らのことも「まさる、優れている」と祝福されるのです。

3.イエス・キリストの輝きを躊躇なく目で捉え、自分の身体の隅々まで照らされる

イエスさまは群衆を、さらに一歩前へと招かれます。「あなたがたは、ともし火であるわたしを求めて入って来る人よ。このようにしなさい」そして「澄んだ目でいなさい」と言われます。「澄んだ目」とは、「しっかりと捉える」という意味でもあります。天からのしるしである光を捉える目です。その光は全身をくまなく照らします。しかし躊躇を感じます。何が照らし出されるかわかりません。「よこしまな時代」の責任から負わされる、照らされたくない罪がそこに浮き上がってくるかもしれません。しかし恐れてはなりません!真実の光を捉えるために、採光窓を開け放つのです。すべて照らしていただきます。「暗いところ」とは「照らされるには相応しくないところ」という意味ではありません。むしろ暗いところをこそ、光に照らされます。そして「ともし火は目である」、光に目をむけ、瞳に光を灯すのです。「ヨナのしるし」とは三日三晩、腹の底にいたヨナから暗示されるキリストの死と復活のしるしです。真実の光は、時代の「よこしま」が集中する十字架に輝きました。その光にわたしたちは目を向けます。その瞳に、キリストの光が灯るとき、全身もまた輝くのです。わたしたちの瞳にキリストという光が灯ったから!イエスさまはわたしたちの瞳に光を灯すため、さらに近くへと招くのです。

« 2021年10月10日主日礼拝 | トップページ | 2021年10月24日特別伝道礼拝 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 2021年10月10日主日礼拝 | トップページ | 2021年10月24日特別伝道礼拝 »

フォト

カテゴリー

写真館

  • 201312hp_2
    多田牧師「今月の言葉」に掲載したアルバムです。(アルバム画面左上のブログ・アドレスをクリックしてブログに戻れます。)
無料ブログはココログ