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2021年12月12日主日礼拝

(礼拝動画)

 

(説教音声)

 

ルカによる福音書第19章1-10節

1イエスはエリコに入り、町を通っておられた。 2そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。 3イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。 4それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。 5イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 6ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。 7これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」 8しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」 9イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 10人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

 

説教『救いがわが家にやってくる』三輪恵愛牧師

1.ザアカイとイエスさまの出会いのなかでも語られているアドヴェント

 「アドヴェントにザアカイのお話ですか?」しかし改めて聞き取って「ここにもアドヴェントがある!」と思いました。桑の木に登ったザアカイを見つめながら、イエスさまは言われます。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と。ザアカイは喜んでイエスさまを迎えます。待ちに待っていた救い主がわが家を訪れた!この喜びの知らせがアドヴェント、そしてクリスマスにも響きます。

2.喜ぶザアカイのように、イエスさまをクリスマスにお迎えできるのだろうか・・・

 ザアカイは立ち上がって言います。「主よ、財産の半分を貧しい人に施します。だまし取っていたならば四倍にして返します(8)」これは大変なことです。先に貧しい人に施します。財産が半分になります。さらにそこからだまし取っていた分の四倍を返す。徴税人は税を多めに取り、収入にしていました。それは「だまし」です。半分になった財産から、四倍の分を返せば、ザアカイの手元になにがしか残るでしょうか。これは命を捧げるとも同じほどのことです。それでも、そうザアカイは宣言するのです。「このようなことが宣言できるだろうか?」クリスマス、イエスさまを喜んでお迎えしようとしているわたしたちに、このザアカイの姿は大きく迫ってきます。

3.イエスさまの訪れで、自分が神のものとされていたことを思い出す、それが救い!

 この姿に、イエスさまはこう言われます。「今日、救いがこの家に訪れた。彼もアブラハムの子だから(9)」神さまにすべてを信頼したアブラハム。彼はユダヤ人の信仰の先祖です。信頼の約束のしるしとして、ユダヤ人は割礼を受けることとなりました。ザアカイにも身に帯びるしるしがあったのです。ところが生きていく中で、自分自身が何者をされているかを忘れ、桑の木を登るように低められた自分を自分で高めようとする生き方を歩んできました。そんなザアカイをイエスさまは下から見上げて「そこは君が登るところではない」と言われます。わたしたちにとっての「しるし」は洗礼であり、信仰告白です。「神の国を継ぐものとされます(洗礼式式文)」「神に生涯をささげます(信仰告白式式文)」。負い目を負う生活のなかで、自分が何者とされたのか忘れることがあります。そこにイエス・キリストが訪れます。「今日、わたしはあなたを訪ねることになっていたのだ」と。「わたしはもう神の国を継ぐもの、生涯をささげました。ですからすべてを信頼して生きていきます!」この信仰の告白はイエスさまの訪れが起こす出来事です。「救いは、この家を訪れることになっていた」この神のご計画にイエスさまの訪れがあり、わたしたちは何者とされていたのかを思い出すのです。

 

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